2016年03月25日発行 1421号

【未来への責任(196)名古屋で強制動員真相究明集会(上)】

 3月5〜6日、名古屋において第9回強制動員真相究明全国研究集会が開催された。5日は「朝鮮人強制労働と世界遺産問題」と題した討議が、翌6日には朝鮮人女子勤労挺身隊に関係するフィールドワークが行われた。

 初日、特別報告として名古屋三菱・女子挺身隊訴訟を支援する会・小出裕さんが30年にわたる取り組みを報告した。また、韓国の金敏普iキムミンチョル)さんは「儒生日記から見た日帝末期における強制動員の実態」を報告した。小出氏の報告は、翌日のフィールドワークと合わせ、強制労働問題が訴訟前から今日まで粘り強く取り組まれていること、同時に、何も解決していないことを強く訴えるものであった。

 名古屋三菱・女子挺身隊訴訟は、戦時中、12歳から15歳の少女が三菱重工名古屋航空機製作所に「日本に行けば女学校に通える。働いてお金ももらえる」とだまされ連れて来られ、軍用機生産の過酷な労働に従事させられたことを訴えるもの。原告には、東南海地震(1944年12月7日)で命を奪われた少女の遺族も含まれている。名古屋高裁は、原告ら少女の動員が欺罔(ぎもう)による動員であり、日本も批准していたILO(国際労働機関)条約に違反する強制労働であることを認め、「個人の尊厳を否定し、正義・公平に著しく反する行為」と不法行為責任を認めた。しかし、日韓請求権協定で「解決済み」として請求は棄却した。

 原告らは今、韓国で訴訟を起こし、一審・二審に勝訴し大法院(最高裁)で争っている。また、請求棄却後に始まった三菱重工本社(東京)前行動は、和解協議中を除いて今なお続けられている。それは、韓国での共感を呼び起こし、光州(クヮンジュ)では「勤労挺身隊のハルモニと連帯する市民の会」が結成され、日韓連帯した取り組みが強められている。

 翌日のフィールドワークでは、2か所を回った。一つは、市民の手で作られた「悲しみを繰り返さぬよう/ここに真実を刻む」と銘打たれた東南海地震追悼碑である。除幕式には「殉難者名簿」を手に探し当てた遺族も出席した。だまされて連れて来られた少女6名がこの地震で亡くなっている。ここは、日韓の青少年の交流で必ず訪問する場所であるという。1988年、当時の宇野外相は衆議院決算委員会で「犠牲者や遺族の名誉回復のために、厚生省と協力して対処する」と答弁した。にもかかわらず、今も日本政府は解決に動こうとしていないばかりか、必死に「解決済み」論で被害者を冒涜し続けている。

 もう一つは、三菱重工の殉職碑である。当初、殉職碑プレートには朝鮮人犠牲者だけが記銘されていなかった。会の取り組みで、朝鮮名が分かった6名についてその名を刻ませた。三菱重工は、自らは何もしようとしない。三菱重工は、アジア太平洋戦争中も今も、日本最大の軍需企業である。

 強制労働への謝罪と補償を求める名古屋三菱の闘いは、今日まさに戦争で人の犠牲を食い物にする軍需産業との闘いであり、平和を求める闘いなのである。

(グングン裁判の要求実現を支援する会・御園生光治)

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