2016年03月25日発行 1421号

【シネマ観客席/放射線を浴びたX年後2/伊東英朗監督/2015年 南海放送 86分/今も変わらぬ「被曝隠し」】

 1954年3月1日、太平洋ビキニ環礁で米国が行った水爆実験で、静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が放射性降下物(死の灰)を浴びて被曝。半年後に無線長の久保山愛吉さんが死亡した。世に言うビキニ事件である。

 だが、水爆実験は1946年から実施されており、第五福竜丸以外にも多くの船が被害にあっていた。その数、延べ992隻、約1万人に及ぶ。また、水爆実験による放射性降下物は海を越えて日本列島各地に降り注いでいた。

 これほどの大事件がなぜ「第五福竜丸の悲劇」としか記憶されなかったのか。日米両政府が密約を結び、米国の責任を問わない「見舞金」の一括支給で問題の幕引きを図ったからである。第五福竜丸以外の船については実態調査すら行われず(当然、被害者個人への補償はない)、マグロの放射能検査も打ち切られた。

 この封印された核災害の真相に迫り、注目を集めたドキュメンタリー映画『放射線を浴びたX年後』の続編が公開中だ。今回は東京在住の川口美砂さん(59)の活動を通して、今も変わらぬ「被曝隠し」の現実を告発している。

 川口さんは高知県室戸市の生まれ。36歳の若さで急逝した父はマグロ漁船の乗組員だった。一家の大黒柱を失い、小学生の頃から必死で働いてきた川口さん。「お前の父親は酒の飲みすぎで早死にした」と言われ、悔しい思いをしてきた。

 2013年8月、川口さんの人生が大きく変わる。室戸市で行われた『X年後』の自主上映会。この映画を観た川口さんは衝撃の事実を知る。水爆実験が行われた海域で操業していたマグロ漁船員の多くががんなどで早死にしていたのだ。以来、元乗組員や遺族を訪ね歩く川口さんの旅が始まった。父の死の真相に近づくために…。

 調査の過程で被曝の事実が闇に葬られたもう一つの理由が浮かび上がってきた。水爆実験に遭遇したことが知れ渡れば、魚が売れなくなる。だから海の男たちは口をつぐんだ。ビキニ周辺海域にいたことを隠すために、船員手帳の乗船履歴を記したページを破り捨てた者も大勢いた。

 経済的な理由により被曝がなかったことにされる。この構図は福島原発事故と同じものだ。「遺族が生存者を探し歩き、被曝の真実を追い求めるという現実があります」というナレーションが重く響く。

 しかし、ビキニ事件から60年後の今、新たな動きが起きている。水爆実験で被曝しがんを発症したとして、高知県内の元船員や遺族らが船員(労災)保険の適用を求め立ち上がったのだ。日本政府に対する国家賠償訴訟の準備も進んでいる。

 本作への大きな反響が状況を変える力となったことは言うまでもない。1本の映画が観た者の心を揺さぶり、社会を動かす。ドキュメンタリー映画の理想形ではないだろうか。 (O)

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