2016年05月06日・13日発行 1427号

【チェルノブイリ事故から30年 今も続く放射線による健康被害 被ばく強要・帰還進める日本政府】

 4月26日は1986年のチェルノブイリ原発事故(注)から30年目にあたる。本来なら、その教訓を学ぶべき日本政府は全くせず、逆に福島事故とチェルノブイリ事故の「違い」を強調。放射線の影響による健康被害を否定し、避難者への支援も強引に打ち切ろうとしている。われわれが汲み取るべき教訓は何か。

健康被害認めぬ国・県

 福島県県民健康調査では先行調査(1巡目)で115人、本格調査(2巡目)で51人、合わせて166人の甲状腺がん患者が見つかっている。当初は「多発」を否定していた県の検討委員会も、中間まとめに「数十倍多く甲状腺がんが発見されている」と明記するなど、多発を認めざるを得なくなった。だが、国・福島県の意を受けた検討委員会はなおも「放射線の影響とは考えにくい」と言い張っている。主な理由として、(1)被ばく線量がチェルノブイリ事故と比べてはるかに少ないこと(2)チェルノブイリで多かった5歳以下(事故当時)からの発見がないことを挙げる。

 政府は福島の放射性物質の放出量はチェルノブイリの「1割程度」(原子力安全・保安院)という情報を流し、意図的に事故の規模を小さく見せようとした。一方、14年5月に発表された米カリフォルニア州政府の沿岸委員会の報告書は、福島原発事故でのセシウム放出量はチェルノブイリの1・8倍だったとした。日本でも「福島事故による放射能放出量はチェルノブイリの2倍以上」(山田耕作・渡辺悦司)という研究がある。さらに矢ヶ崎克馬・琉球大名誉教授は、政府のモニタリングポストのデータを検証し、「真の値の50%ほどしか示していない」と批判する。(1)は根拠がない。

 また、(2)についても、ロシア研究家の尾松亮さんは、ロシア政府報告書によると、事故直後に甲状腺がん患者が目立って増えたのは事故当時15〜19歳の層や20歳以上の層で、5歳以下の層で増加が明らかになったのは事故から10年以上経ってからだったという。

生涯被ばく限度を定める

 事故当時、ソ連政府は住民の被ばく限度を年間100_シーベルトまで引き上げた。この基準は翌87年30_シーベルトに、88年には25_シーベルトに引き下げられ、住民が長期的に生活することを前提にした平時の基準についての議論が始まった。その結果、90年11月に国際放射線防護委員会(ICRP)が採択した勧告も参考に1_シーベルト基準が確立された。重要なのは、「年間1_シーベルト、生涯70_シーベルトを超えない」という生涯被ばく基準が定められたことだ。

 それに基づいて事故から5年後の1991年、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア各共和国でチェルノブイリ原発事故被災者保護法(以下、チェルノブイリ法)が成立した。



 住民の被ばく線量が年間5_シーベルト以上の地域は「無条件移住地域」とされた。年間1_シーベルト以上の地域は「任意移住区域」とされ、移住するか居住し続けるかを住民自身が選択することができる。移住者は喪失財産の補償、引っ越し費用、移住先での住宅や雇用が保障され、居住者にも子どもの食費補助や長期保養、追加有給休暇が保障される。

 そうした施策にもかかわらず、事故から30年経った被災地では、今でも放射線の影響による健康被害が続いている。ウクライナのコロステン市では、子どもたちの間ではめったになかった慢性胃炎や、慢性気管支炎、甲状腺異常、血液や血管の慢性疾患などが増えている。国立放射線医学研究センターの医師は「白内障は、86年当時にはまったく見られなかった病気だ。それが09年になると、検査した99・4%の人間が目に異常を持つようになった」と証言する(サンデー毎日3/13号)。

 福島をはじめ東北・関東圏を中心に将来こうした健康被害の発生を想定した調査や医療体制を早急に準備する必要がある。放射能健診署名の意義はいっそう高まっている。

被害者の大同団結が力

 福島では、政府が年間20_シーベルトを避難基準とし、それを下回れば避難解除との方針をとっている。年間20_シーベルトの区域に住み続ければ、4年ほどでチェルノブイリの生涯被ばく限度70_シーベルトを超える。公衆被ばく限度(年間1_シーベルト)の順守を訴えるだけでなく、生涯被ばく限度という考え方を強調する必要がある。

 福島原発事故から5年。政府・福島県は、田村市都路(みやこじ)地区東部、川内村東部、楢葉町と避難指示区域を解除した。今春も南相馬市小高区と原町区南部、川俣町山木屋地区、葛尾(かつらお)村の解除を予定し、帰還政策を強力に推し進めている。事故から丸6年となる来年3月には強制避難区域を除くすべての避難指示区域を解除し、区域外からの避難者(いわゆる自主避難者)への無償住宅の提供を打ち切ろうとしている。

 日本でもチェルノブイリ法を手本にした「子ども・被災者支援法」が超党派の議員立法で成立した(12年6月)。しかし、第2次安倍政権の下で、具体的施策を定める基本方針によって法の趣旨が全く骨抜きにされた。それどころか、政府は被害者の存在を消し去ろうと強引な帰還強要政策を進め、当事者の間に反発と怒りを生んでいる。

 特定避難勧奨地点の解除に反対する南相馬市の住民による「20ミリ撤回訴訟」が始まった。小児甲状腺がんを発症した家族の会も立ち上がった。

 各地で東電と国に損害賠償を求める訴訟を起こしている原告団の全国連絡会(原発被害者訴訟原告団全国連絡会)や、ADR(裁判外紛争解決)集団申し立て団体も含むひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)も結成され、無償住宅の提供打ち切り撤回を課題にそれらの団体の統一行動、大同団結も模索され始めた。

 被害者が声を上げ続ける限り、原発事故は終わらない。全国約30件にのぼる原発賠償訴訟とともに、原発被害者の団結と闘いを支援し、政府の帰還政策を転換させ、内実を伴う被災者支援策の策定を実現しなければならない。

(注)チェルノブイリ原発事故 86年4月、旧ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原発爆発による史上最悪(レベル7)の放射能放出事故。

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