2016年07月15日発行 1436号

【ルポ福島/「避難指示解除」の被曝地を行く/子育て世代は帰らない=z

 南相馬市小高(おだか)区の避難指示解除が7月14日に迫っている。対象者は1万人を超え、強制避難区域としては最大規模の解除となる。解除直前の南相馬市と6月に全域解除となった川内(かわうち)村を訪ねた。(Y)


南相馬市/除染待たず見切り解除

 浪江町の帰還困難区域と山一つ隔てるだけの小高区川房(かわぶさ)地区。71世帯中、帰還を予定しているのは7、8世帯だ。子育て世代は帰らない。

 土地を放射能汚染物の置き場に提供することを拒み、試験的に野菜などを作ってきた佐藤さん。隣の田んぼにはフレコンバッグが山積みされている。「ダイコンは52ベクレル、自然になってるユズは400ベクレルあった。近くでは1000を超えたコシアブラも。そんな環境で大丈夫と言われてもねえ」

 家の周囲は毎時0・42μSv前後だが、場所によっては2μSvを超える。「部屋の中でも0・7μSv。家は解体するしかない。政府は『解除しても支援は続ける』と言うが、賠償金や高速無料化の継続、仮置き場の廃止時期を聞いてものらりくらり」。家族は戻らないという。「不要な土地は国・東電で買い取るような思い切った政策がほしい」と佐藤さんは訴える。

 志賀さんもいわき市への移住を決めた。農業を営んでいたが、避難後は農作業から遠ざかる。「作業をしないと体がなまる。農地は放っておいたら作物ができるようになるまで時間がかかる。できた作物が売れるとも限らない。復旧しても復興はしない」

 除染作業真っ最中の住居をちらほら見かける。桜井勝延・南相馬市長は「宅地の除染の完了」を解除判断のポイントに挙げていたが、「みんな終わるのを待っていたらいつまでも解除できない。私は浪江町の姿勢とは違う」と見切り発車した。作業員に尋ねると、「川房地区の宅地の除染場所は平均で2μSv」と話す。


川内村/お金で引き寄せ危険を隠す

 川内村は6月14日、荻・貝ノ坂地区の避難指示が解除され、全域が避難対象から外れた。両地区は19世帯51人。解除反対の請願書にほぼ全員が署名捺印したが、強行された。帰還者は現在1人。

 郡山に家を持った吉田さんは、父親が残したヤギやヒツジを殺処分せず、毎週飼育に通っている。低線量被曝の調査に使えないかと考えたが、個体数が少なく断念。土壌検査の要求は最後まで受け入れられなかった。「周囲の山は毎時5〜7μSv。とても住める環境ではない。ところが、村長は年20mSvが安全基準と割り切っている」とあきれる。

 活動経験のなかった吉田さんだが、「復興はしたい。住める環境に戻したい。誰かがやらなければ」と署名集めに立った。しかし、被曝問題に取り組まない村長には「復興」を見出せないでいる。

 震災前の村民約3000人のうち今年4月1日までに戻ったのは約1800人。4割が65歳以上だ。人口流出を止めようと、村は原発20〜30キロ圏の住民に賠償格差解消の給付を行う。7月から1人22万円の地域振興券が配布されるが、対象は現在住んでいる人に限られる。

 子育て世代勧誘のため、シングルマザー移住支援策も打ち出した。1人60万円支給、村内企業への正社員雇用あっせん、家賃半額補助(上限2万円)などだ。7月末には1泊2日の体験ツアーに5世帯を無料で招待する。被曝の危険を覆い隠し、参加した子どもたちにイチゴ狩りやイワナ釣りを体験させるという。

 吉田さんは語る。「農家のお嫁さん募集でブラジルやフィリピンから来てくれたが、離婚していなくなった。文化交流の基本姿勢がなく、田舎の慣習を押しつけたからだ。今回も、かりに来たとしても子どもが中学を卒業したら村を出ていくだろう。定住化につながるとは思えない」。貧困に付け込み、健康被害も顧みず、お金で引き寄せようとする村政に川内村の若い避難者は未来を感じるだろうか。



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