2016年08月12日発行 1440号

【ルポ福島/年間50_シーベルト超 帰還困難区域を行く/車も人影もないゴーストタウン/「ピーッ」 鳴り続ける警告音に恐怖】

 福島県内7市町村の帰還困難区域には、約9千世帯2万4千人が暮らしていた。その帰還困難区域の一部解除に政府が動き出す。年間50_Svを超える地域でも来年度から除染・インフラ整備を始める。住民や廃炉関係者が住む「復興拠点」として、双葉町のJR双葉駅西側、大熊町役場周辺、富岡町の夜の森地区などを候補地に上げている。


「復興拠点」双葉町

 7月18日、双葉町の帰還困難区域に入った。市街地に入る道路はすべて閉鎖され、検問所が設置されている。警備員が事前申請に基づいて車をチェックし、同乗者全員に身分証明書を提示させる。申請していた車数台が全部揃うまで、高い線量の中で30分も足止めされた。

 警備員は防護服を着用しておらず、スクリーニング検査もしない。「われわれも着用しなくていいのか」と尋ねると、「できる限りですが強制はしません」。健康管理はないがしろにされているのに、人の出入りの管理だけは厳しい。

 道路の植え込みの切り株を測る。5000cpm(1分あたりの放射線計測回数)を超えた。放射線管理区域の基準の3倍以上だ(1uあたり4万Bqを1300cpmとして換算)。そんな場所に1日8時間、放射線教育も受けていない若い警備員がさらされている。

 国道から数十b離れた民家を事前に了解を得て測定した。庭は高さ1bで毎時8μSvを超えた。地表面では10μSvを超え計測不能に。文科省の年間20_Sv=毎時3・6μSvから見ても年間50_Svを上回る。もっと重大なのは、とんでもない土壌汚染だ。セシウム137は325万Bq/u、セシウム134が55万Bq/u、合計380万Bq/uを記録した。なんと放射線管理区域の95倍の数値だ。

 JR双葉駅東口と国道の間にある住宅街を歩く。高さ1bでも毎時2〜4μSvの空間線量が続く。

 双葉町のシンボル「原子力明るい未来のエネルギー」の看板は撤去されていた。しかし、電柱には「子どもたちの未来のために 東北電力」の看板が残されたまま。東京電力ではないから許されるというのだろうか。傾いたまま放置された家、ドアや窓ガラスが壊された家、伸びっぱなしの雑草。車も人影もないゴーストタウンである。それでも時間をかけて整備すれば見た目はきれいになるだろう。だが、目には見えない放射能の恐怖が「ピーッ」と鳴り続ける測定器の警告音から実感される。

 復興拠点の候補地は反対側の駅西口で、田んぼの中に数十軒が立つ。空間線量は東口より若干低いが、肝心の地表面測定や土壌検査はなされないままだ。95倍の汚染土壌をどうやって除去できるというのか。どこに持って行くのか。膨大な除染費用は、町民が望む「町ごとの移転」にこそ使われるべきではないのか。

 来年3月の解除が図られている浪江町。避難指示解除準備区域にあるJR浪江駅前の商店街も半壊の建物が放置されている。駅前広場は0・6〜0・8μSv。地表では8000cpm、約24万Bq/uを記録した。

「解除」後の南相馬市

 7月12日に避難指示解除が強行された南相馬市小高区。避難先から駆けつけてくれた斉藤行男さん(仮名)は自宅に入るなりつぶやいた。「子どもは帰らないし、家は汚染されて買い手はない。何のためにローンを返済してきたのか」。20年前、1700万円のローンを組んで家を建てた。避難後も返済し続け、今年やっと完済した。

 宅地は除染済みとされるが、室内で0・13〜0・15μSv、子ども部屋だった2階も0・15μSv。ベランダから裏庭を指し、「親戚が集まって庭でよく食事をしましたよ」と悔しそうに語る。30b先には雑木林があり、風が吹いてくる。20b除染しても焼け石に水だ。

 「私が知る限り、親戚で2世帯、近所で80歳を超えるばあさんが帰ると聞いている」と斉藤さん。若者の帰還はない。(Y)



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