2016年12月09日発行 1456号

【ミリタリー・ウォッチング 「北方領土」問題と平和的解決の道】

 1956年10月の日ソ共同宣言の調印から60年。「北方領土問題」が安倍政権の目玉$ュ策として再びメディアを賑わし始めた。

 背景には、戦争国家への暴走で矛盾を重ねTPP(環太平洋経済連携協定)が頓挫しつつあることなど政権のほころびが次々とあらわになる中、少しでも「見栄えのいい外交成果を」との思惑がある。12月15日に山口県で行われる安倍・プーチン首脳会談は、この演出のハイライトの一つであるが、単なるセレモニーに終わる可能性も高い。安倍政権には真の意味で平和条約締結への意欲も努力姿勢もないからだ。

日ソ共同宣言と日米安保

 今回の日露交渉の土台になるとされる日ソ共同宣言。その意義は当時の日ソ2国関係―国交回復にとどまらない。第2次大戦後の冷戦下にあって、世界の新たな平和秩序を形成する上で重大な意義を持っていた。

 日本はサンフランシスコ講和条約(1951年)で国際法上米英仏などとの戦争状態を終結させた。だが、連合国の一つであるソ連はこの条約には参加しなかった。ソ連との国交を回復し、戦争状態を終結させることは、日本が第2次大戦の結果(敗戦)を受け入れ、平和国家として国際社会との関係を築く出発点に立つことであった。

 日ソ共同宣言は「国交回復」「平和条約交渉継続と条約締結後の歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)2島の引き渡し」「抑留日本人すべての送還」「漁業協定の発効」などを合意事項とし、国交を回復した。だが、「平和条約締結」は60年後の今も実現していない。最大の障害要因となったのは1960年の日米安保条約改定とその後の安保体制強化である。日米安保はソ連を仮想敵国とした日米の2国間軍事同盟であり、沖縄をはじめとした在日米軍基地という形で米軍の軍事占領が継続されてきた。こうした状況でソ連との平和条約が成り立つはずがないことを誰よりも承知していたのは歴代自民党政権自身である。

 「領土問題」の本質は「軍事・安全保障問題」である。ソ連は、日ソ共同宣言の交渉で原則として主張していた「戦争の結果を踏まえて解決すべき」を一部変更し、歯舞と色丹の「2島引き渡し」の妥協案を提示した。そこには、日本に対し講和条約発効後も米軍の沖縄占領を継続させた日米軍事同盟強化を軸とした外交戦略の道ではなく、平和共存路線に目を向けさせるとの目的があった。

平和共存と軍縮こそ

 「米ソ間の核戦争を避けようと平和共存路線を進め、西ドイツ、日本など旧敵との交渉にも取り組んだ。対米従属を弱められる可能性があると考えていた」(当時のフルシチョフ共産党第1書記の次男で歴史家のセルゲイ・フルシチョフ氏)との証言は、「領土問題」は「軍事・安全保障問題」そのものであることを物語っている。

 「合意当時には200カイリの排他的経済水域の概念も原子力潜水艦も、強大な在日米軍基地もなかった」(ロシア東洋大のコーシキン教授)。今、北方4島をめぐる軍事情勢は厳しさを増している。そのことは逆に、平和共存と軍縮路線以外に現状打開の道がないことを示している。

 「バルト海に浮かぶオーランド諸島はフィンランドとスウェーデンの領土紛争の焦点だったが、国際連盟の協議を経て軍事基地を完全撤去し、平和と自治の島となり、やがて100年の歴史を刻もうとしている」(前田朗氏)。北方4島も、そして沖縄も、オーランドが歩んだ道に進むことは可能だ。

豆多 敏紀
平和と生活をむすぶ会

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