2018年02月09日 1513号

【ルポ/「被告」にされた山形の避難者(下) 放射能は怖がっていいんだよ=@一人ひとりの選択尊重を】

 住宅追い出し訴訟の被告にされた山形県米沢市の避難者、武田徹さん(76)は「一律に住宅提供を打ち切ってきたのが問題だ」と強調する。「最後まで一人残らず支援する」(吉野正芳復興大臣)とは、口先だけなのか。

わかってくれたかな

 「被告」の一人、渡辺さん(仮名)が避難を決めたのは、福島の実態への危機感からだ。「私が測定器で測っていると『神経質だね』『嫌なら転校すれば』。懇談会の場で『私は気にしてない』と言う保護者も。そうなると、もうみんなの場で(放射能の話が)聞けなくなっちゃった。隠れキリシタンという感じだった」

 子どもは鼻血を出し、甲状腺検査でA2判定に。自宅の空間線量は高い。影響が少ない所で暮らしたかった。行政に「逃がして」と要求するが、測りに来るのも発表も遅い。そのうち、年間20_シーベルト以下なら避難しなくてもいい、と。「ああ、こりゃダメだ。引っ越そう」と決断した。

 「がんになってもいい」と抵抗する子どもの説得に1年かかった。(強制避難区域と違い)クラスで避難したのは2、3人だったという。「自分一人だけ逃げるとみられるのが一番つらかったようだ。小さな子にそんな嫌な思いを押しつけた国はひどいことしたもんだって思う」

 避難先の学校は気に入った。先生は「福島を理由にしたいじめはない。いいじゃないか、あっちにもこっちにも友達が増えて」と言い、制服もカバンも用意してくれた。それでも入学式のとき、子どもは「なんで俺だけ米沢なんだよ」と不満をぶつけた。

 スポーツクラブに入ると、レギュラー争いが生まれる。県外から来た者がレギュラーになると反発されそうだが、クラブでは仲間も親も暖かく迎えてくれ、試合に勝つと共に喜んだ。「本当に先生や仲間に恵まれたと思う」

 高校受験は福島で、と言っていたが、三者面談では山形の高校の名前を出した。「将来のこと考えたら福島には行かせたくない」と話す母親を前に、「どうせ(福島では)ダメなんだろ」と怒っていた。その後、推薦で学校が決まると自信を持ったのか、反抗しなくなった。

 高校生になれば、それまで関心のなかったニュースも見る。横浜のいじめ問題を知って「俺はお金を取られるようなことはなかった」、東日本大震災にも目を向けるようになり、「(放射能を心配してか)震災の時に芸能人は福島には来なかった」などとも言う。渡辺さんは「私の思いがわかってくれるようにはなったかなと思う」と安堵の表情を浮かべた。

やはり避難してよかった

 「被告」の佐藤さん(仮名)は振り返る。「やっぱり避難してよかったと思う。子どもが福島に帰りたいと泣いたときは辛かった。『避難はパパとママが勝手に決めたんでしょ。でも大きくなったら私の意見を尊重して』と言われていた。しかし、高校進学の三者面談では『山形に残りたい』とこちらを選択した」

 佐藤さんは、がんばれるのは武田さんのおかげという。「県外にも出かけて行き、励みになる様子を伝えてくださった。訴えられたときも、みんなを集めて安心させてくれる。この先どうなるか不安だが、ついて行こうって気持ちになる」。裁判の反響には驚いた。「暖かく支援してくれる人が増えているし、それを新聞などで知る。だから私は、職場でこのことを隠さず話している」。裁判で休暇を取ると、上司から「あなたには仕事を続けてもらいたいし、がんばって」と背中を押された。

 「さようなら原発米沢」代表の高橋寛山形大学名誉教授。福島原発避難者と近所付き合いする地元の支援者の一人だ。「避難したお母さんが公園で子どもを遊ばせていると地域のお母さんも寄ってきて、すごい子どもたちの声に包まれた。ある夫婦とは一緒に周囲の草むしりなども。帰還されたが、今ごろどうされているか」と心配する。地域は避難者を暖かく迎え入れてきた。

 福島大学のキャンパスに、反原発の過激なことを言う人に左右されないこと、という看板が立っているそうだ。「一番の問題は、福島の中で放射能は怖いということをきちんと出せない雰囲気があること。とりわけ子どもには、素直に怖いと言える雰囲気をつくらなければ」

 高橋さんは裁判闘争支援の意義をこう語った。「出るか、残るか、一律に決められるものでない。一人ひとりに寄り添い、選択を尊重すべき事柄だ。福島在住者には、健康診断無料化や国の予算による保養を行わないといけない。家賃を払っている人、福島に残っている人も含め、“放射能は怖がっていいんだよ”という、そういう権利を求める闘争として重要だと思う」



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