2018年02月16日 1514号

【名護市長選 ZENKOも全力で奮闘】

 ZENKO沖縄とともに、各地から名護入りしたZENKOメンバーも全力で支援行動。極めて残念な結果となったが、現地で取り組んだ思いを紹介する。

基地のない街づくり願う

 那覇から名護へ向かう車中で、琉球王朝時代の沖縄について教わった。中国から使者が来る時は首里城周辺を中国色に染め、屋敷内に用意した中国式の間にもてなすなどして中国と友好関係を結んだそうだ。外交の力で平和を守り栄えた沖縄の歴史を考えると、中国や朝鮮を敵とみなして圧力一辺倒の安倍政権ではアジア諸国との良い関係は築けないと思った。

 名護に着き、市民会議の選挙事務所へ行く途中、電柱に「辺野古の新基地建設反対」の黄色い看板が。その上には、相手陣営が張ったと思われる「小泉進次郎来たる!」の看板が取り付けられていた。安倍政権側は国ぐるみの総力戦を展開しているようだ。

 選挙事務所の方がたは暖かく迎えてくださった。私は告示前日と当日の2日間、ビラまきやビラ折り、シール貼り、交差点での手振りなど、1票でも票につながればと精いっぱい頑張った。商店街の歩行者天国でビラを配る。受け取りはすこぶる良い。ビラはあっという間になくなった。

 交差点での手振りでは、行き交う車のドライバーの目を見るように手を振り続けた。思ったよりも多くの人が手を振り返してくれる。6〜7割だろうか。好反応だ。信号待ちの車から窓を開けて演説に聞き入る光景を何度も目にした。

 2日間を経て、稲嶺陣営に風が吹いているように感じたが、まだ初日だったし、稲嶺陣営側にいたからそう感じたのかもしれない。相手は“地下活動”をしているのではないかという話もあった。実際に結果が出るまでは楽観的なことは言えない。

 新基地がつくられた時のことを想像した。辺野古の海は基地になる。自然が壊される。のどかで平和な名護の夕焼けを横切るように戦闘機が飛ぶ。米兵や自衛隊員が街中をうろつく。

 過疎化が進み、商店街に活気がないというのはそうかもしれない。基地ができれば国から再編交付金はもらえるのだろう。辺野古地区や市街地は兵士のお客でにぎわうかもしれない。

 でも、交付金頼りの街づくりに主人公である名護市民による市民自治はない。平和な名護の空と海と街は様変わりしてしまうのは明白だ。人類にとっての貴重な財産を基地で潰してよいのか。基地を前提としない街づくりを積極的に考えていくべきではないか。

 相手陣営は基地のことを言わずに経済をよくしますと宣伝するが、稲嶺市長も市の財政を立て直したこと、基地に頼らない経済政策で経済に力を入れると宣伝している。よく考えればどちらがまともかは明確だ。

 辺野古に基地をつくらせない。何十年にもわたる運動の総決算となる闘いだ。そのような歴史的な闘いで非力なりにも稲嶺陣営への力になれたのなら幸いだ。

(ZENKOユース T・K 2月3日記)

現地支援でき誇りに思う

 稲嶺ススム市長を支える市民会議の事務所で3日間の支援行動をしました。チラシ折りの作業をし、グループに分かれて各戸配布と街頭行動(大きな交差点で車への手振りあいさつ)が主な役割です。

 チラシを配っていると、小さな男の子が「あっ稲嶺さんだ!」とお父さんに手渡してくれ、お父さんもニコニコ。交差点で手振りをしていても、うなづいてくれたり、わざわざ窓を開けて手を振ってくれたり元気がでました。

 土日は名護桜まつりでにぎわい、子ども向けのカードもどんどん受け取ってくれます。食堂で相席になった高齢の女性が「関西からお疲れ様。あなたたちみたいな元気な人と話せて楽しかった」と言ってくれたり、60歳代(?)の男性は「僕も稲嶺さんを応援してます。稲嶺さんは人柄がすごくいいんですよ。明日の朝応援に行きます」など話もでき、充実した食事時間でした。

 稲嶺市政になり、子どもの医療費が中学生まで無料、保育所待機児童ゼロ実現、校舎耐震化100%などの成果にスゴイと思いました。「再編交付金がなくても公約の9割を実現した。後の1割は辺野古の基地建設中止だけ」と子どもたちの未来のために奮闘した稲嶺ススム市長。相手候補の争点はずしでとても悔しい結果になったけれど、全力で応援できたことは誇りに思っています。

(大阪・戸川悦子)





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