2018年10月05日 1545号

【安倍政権の生存権破壊と闘う 権利の実体化には闘いが不可欠】

 フランス革命での人権宣言(1789年)第1条は「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する」と謳(うた)っている。
 この宣言は近代市民社会の出発点だ。だが、宣言には限界があった。女性は対象外だ。さらに、法的権利として生存権が定められるには多くの時間と闘いが必要だった。

 生存権はどのような歴史を経て確立したのか。「生産性」のある、なしで社会的弱者・少数者を排除する発言が公然と行われる現在、そうした人権否定を許さないために、権利としての生存権が強調されなければならない。

20世紀憲法の生存権

 近代社会の出発とともに生存権は不可欠のものとして登場する。資本主義の進展に伴って貧富の差が拡大し、生存さえも危うくなる人びとが増加したからである。社会主義者や共産主義者を中心に、人間らしく生きる権利―生存権思想≠ェ唱えられ、その影響は大正デモクラシー期の日本にも及んでいた。

 ドイツの帝政をくつがえして1919年に制定されたワイマール憲法は、個人の自由・平等の保障に加え生存権的基本権を定めた画期的なものであった。生存権を初めて定めた憲法といわれる。

 チェコスロバキア、ポーランド、スペインはワイマール憲法に影響を受けた憲法を制定したが、いずれもファシズムによって廃止された。生存権がよみがえるのは戦後になってからだ。フランス第4共和国憲法(46年)、イタリア共和国憲法(47年)、世界人権宣言(48年)、ドイツ連邦共和国基本法(49年)などが生存権を定め、日本国憲法(47年)第25条もその一つだ。

生存権と社会権

 生存権とは、憲法第25条に明記されているように「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」である。注目すべきは、健康・文化的・最低限度という3つの要請項目があることだ。それは、健康かつ文化的な生活が保障され、しかも最低限度を下回ってはならない、という関係にある。

 ところが、最低限度について議論が集中してしまい、健康や文化について語られることは多くない。生活保護世帯のクーラー設置がようやく6月から認められた。これは一歩前進だが、猛暑による熱中症で多数の死者が出る事態が起きるまで長年放置されてきたように、健康で文化的な生活を国が保障してこなかった証拠でもある。

 生存権は国に請求する権利であり、社会権である。社会権とは、基本的人権の一つとして、個人の生存を維持させるための諸条件(居住、労働、教育など)を確保するため国に要求できる権利である。

 数多くの社会保障裁判は生存権を法的権利として認めることを求めてきた。その積み上げで一つ一つ国に認めさせてきた。改憲に突き進む安倍政権でさえ、その力を無視できない。政府が進めているのは生活保護基準引き下げや年金切り下げなど成果の骨抜きだ。それは市民の闘いを呼び起こさざるをえない。

形骸化は許さない

 市民社会ではまず自由権が確立された。自由権とは、個人の自由を国家権力によって侵害させない権利だ。思想信条、言論、表現などの自由が保障されることを定める。

 では、それに加えて、なぜ生存権・社会権が憲法に規定されたのだろうか。

 格差と貧困の拡大など資本主義の矛盾が深まるにつれ、自由権の保障だけでは市民の不満を抑えきれなくなる。資本主義は、その体制を維持するために社会権を取り込まざるをえなくなった。こうして憲法上、自由権と社会権が併存することとなった。

 だが、資本や国家、その代弁者たちは「自由」の名で生存権・社会権を否定しようとする。他者の人権や人間の平等を否定する「自由」などない。だが、ヘイトスピーチが弱者を標的にして人権、社会権を踏みにじるとき、「表現の自由」を持ち出して正当化を図る。経済活動の自由は「カネもうけの自由」とされ、市民の生存権・社会権をたえず形骸化しようとする。そこに新自由主義の自己責任論がかぶさり、個人では解決不能なことも「能力や運がなかった」とされ、反論さえも封じ込められる。

 社会権を憲法に定めさせたのは人びとの闘いの成果だ。その力が弱まると成果が骨抜きにされる。生存権・社会権を実体化させるためには、権利を求める継続した市民の闘いが不可欠なのである。

生存権を明記した憲法・人権宣言

ワイマール憲法(1919年)

 第151条第1項「経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的をもつ正義の原則に適合しなければならない。この限度内で、個人の経済的自由は、確保されなければならない」

イタリア共和国憲法(1947年)

 第38条「労働の能力をもたず、生活に必要な手段を奪われたすべての市民は、社会的な扶養と援助を受ける権利を有する」

世界人権宣言(1948年)

 第25条第1項「何人も、衣食住、医療および必要な社会的施設を含め、自己および家族の健康と福利のためにじゅうぶんな生活水準を享有する権利を有し、かつ、失業、疾病、能力喪失、配偶者の喪失、老、または不可抗力による生活能力の喪失の場合に、保障を受ける権利を有する」
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