2018年11月09日 1550号

【安倍の「明治150年」式典/今なぜ政府主導の「明治礼賛」か/現代版「富国強兵」の正当化狙う】

 「明治維新150年」を祝う政府主催の式典が行われた。「近代化を推し進め」「独立を守り抜いた」先人の偉業に学び、さらに飛躍する国を目指すのだという。この間、「明治礼賛」キャンペーンに力を入れてきた安倍政権。政府主導の歴史歪曲策動の背景には、現代版「富国強兵」政策への合意形成という、どす黒い野望があった。

歴史の暗部を無視

 10月23日、東京・永田町の憲政記念館で開かれた「明治150年記念式典」。式典委員長の安倍晋三首相は式辞で「明治の人びとが勇気と英断、たゆまぬ努力、奮闘によって、世界に向けて大きく胸を開き、新しい時代の扉を開けた」と強調。「今日の国難とも言える時代にあって、明治の人びとに倣(なら)い、未来を切り拓いていく」との決意を語った。

 「一面的な歴史認識の押しつけではないか」との批判に対し、菅義偉(すがよしひで)官房長官は「明治期のすべてを称賛するものではない」と弁解した。しかし、安倍の式辞はどう読んでも「明治の日本=大日本帝国」の全面肯定でしかない。

 欧米列強の脅威が迫る中、当時の日本人は独立を守り抜くために、技術革新と産業化に励み、短期間で近代化を成し遂げた。明治期は「洋々たる活力、志の高さ」に満ちた時代であった―。まさに司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』そのままである。

 もっとも、司馬は「庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり女工哀史があり小作争議がありで、そのような被害意識のなかからみればこれほど暗い時代はないであろう」(『坂の上の雲』第1巻あとがき)とも書いていた。そうした歴史の暗部への言及が安倍の式辞には一切ない。大日本帝国が行ってきた数々の侵略戦争や植民地支配についても完全無視を決め込んでいる。

 安倍は日本の近代化と戦争を切り離したいようだが、それは歴史のつまみ食いというものだ。明治維新の「富国強兵」というスローガン自体に、他国の領土や資源を軍事力で奪う帝国主義的発想が埋め込まれているのである。

改憲策動の一環

 「今、急いで軍備をなし、軍艦や大砲が備われば、北海道を開墾して諸侯に統治させ、隙に乗じてカムチャツカ、オホーツクを奪い、琉球を説得して諸侯と同じようにさせるべきである。また朝鮮を攻め、古い昔のように日本に従わせ、北は満州から南は台湾・ルソンまで一手に収め、次第に進取の勢を示すべきである」

 これは安倍が尊敬する人物にあげる幕末の思想家・吉田松陰が残した著述(『幽囚録』)の現代語訳である。松陰の弟子たち(伊藤博文や山県有朋など)は後に「明治の元勲」となり、師の教えどおりの対外膨張政策を実行していった。その結果、アジア民衆をはじめとする多くの人びとが犠牲になった。国内にあっては人権抑圧の下で、民衆は徹底的に搾取された。

 最終的には日本をも破滅させた戦争政策。その反省にもとづき、戦後の日本は「強兵」路線の放棄を日本国憲法で宣言した。「富国」路線のほうも、「第2の敗戦」というべきバブル経済の崩壊以来、行き詰まりが誰の目にも明らかになっている。

 それなのに、安倍は明治期を「日本が大飛躍的な前進を遂げた〈栄光の時代〉」(共著『「保守革命」宣言』)として美化する。自身が進める現代版「富国強兵」政策を正当化するためだ。「明治150年」というキャッチコピーにしても、敗戦による断絶を覆い隠し、日本国憲法の否定を狙ったもの。つまりは改憲策動の一環というわけだ。

式典自体は不発

 政府式典の当日、「明治礼賛」に反対する市民の集会が国会内で行われた。沖縄県選挙区選出の糸数慶子参院議員は「明治改元は琉球処分がなされた沖縄にとっての苦難の原点だ。現在の米軍基地の押しつけをやめるべきだ」と安倍政権を厳しく批判した。支配者の自画自賛史観を沖縄は認めない、ということだ。

 西里喜行・琉球大名誉教授は琉球新報(10/23付)に寄せたコメントで、日本政府が「国益」のために沖縄を利用し続けてきた歴史を振り返り、「政府にとって沖縄を押さえつけ、取り込んでいく150年だった。沖縄にとっては自己決定権を要求し続ける闘いの150年だ」と指摘した。沖縄民衆の「不屈の闘い」の核心部分を見た思いがする。

   *  *  *

 さて、安倍政権の意気込みとは裏腹に、「明治150年記念式典」に対する人びとの関心は薄かった。式典参加者は約300人。約1万人が会場の日本武道館を埋めた50年前の「100年式典」と比べると大幅な減少である。

 何より天皇及び皇族の不参加が政府にとっては痛かった。おそらくは皇室側からNGが出たのだろう。落ち目の安倍政権が企画した大日本帝国再評価のイベントに駆り出されることは天皇のイメージダウンにしかならないからだ。

 式典は失敗した。だが、それで懲りるような連中ではない。戦争国家づくりのための歴史歪曲策動を引き続き批判していく必要がある。(M)



 
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