2019年02月08日 1562号

【「個人請求権」めぐる謎/言い逃れを連発してきた日本政府/国内外の戦後補償要求を拒否】

 「1965年の日韓請求権協定で決着済みの問題だ」。元徴用工らへの賠償を命じる判決が韓国の裁判所で相次いでいることについて、安倍晋三首相はこう非難している。その一方で、日本政府は従前から「日韓協定は個人の請求権まで消滅させたものではない」と説明してきた。何ともねじれた話である。一体どういうことなのか。

国内の要求拒むため

 安倍政権を政策面で支持している人は少ない。経済、社会保障、外交―どれをとっても世論調査では低評価だ。例外は韓国への対決姿勢である。これだけは圧倒的な「支持」を得ている。

 産経新聞とFNNの世論調査(1/19〜1/20実施)によると、「賠償問題は1965年の日韓請求権協定で解決済み」とする日本政府の立場について、84・5%が「支持する」と答えている(「支持しない」は9・4%)。支持が8割超えとはすさまじい。「法的に決着済み」は国論化していると言ってよい。

 だが、日韓請求権協定における請求権放棄条項(2条1項)の意味を、日本政府が次のように説明していることはあまり知られていない。「これは日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということでございます。個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」(柳井俊二・外務省条約局長/1991年8月)

 意外に思われるかもしれない。同様の請求権放棄条項は日本の戦後処理に関する諸条約(サンフランシスコ平和条約、日ソ共同宣言、日中共同声明など)にも存在する。これらの規定で個人請求権も消滅したと主張したほうが、海外からの戦後補償要求を拒むには都合がよいはずだ。だが、日本政府はそうしていない。自国民の権利を奪ったとなれば、日本の戦争被害者から損失補償を求められるおそれがあるからである。

 実際に、広島・長崎の原爆被害者が「サンフランシスコ講和条約により米国に賠償請求できなくなった」として、日本政府に補償を求める裁判を起こしている。政府はこう反論した。「条約は個人の請求権まで消滅させるものではなく、原告は権利を侵害されていない」。よって、国が被害者に補償する義務は生じてないというわけだ。

 このように、「個人の請求権は条約で消滅していない」との論法は日本の被害者に対する責任を免れるために編み出したものだった。だから、海外からの戦後補償要求に対しては都合が悪い解釈であっても、維持し続けねばならないのである。

新解釈を切り札に

 1990年から10年の間に韓国の戦争被害者が提訴した戦後補償裁判において、日本政府が「日韓請求権協定で解決済み」との抗弁をした例は一つもない。補償を拒む法的根拠にはならないと認識していた証拠である。彼らはもっぱら「時効」や「国家無答責」(明治憲法下では国家は不法行為の賠償責任を負わないとする法理)を補償要求をはねつける盾に使ってきた。

 しかし、重大な人権侵害案件を「時効」等の理由で門前払いするのは不適当とする司法判断が現れ始めると、日本政府は請求権放棄条項に関する解釈を転換し、補償拒否の切り札に使うようになった。その新解釈とは「個人の請求権は消滅していないが、民事裁判上の権利行使ができなくなった」というもの。それが戦後処理に関する諸条約の「枠組み」だというのだ。

 条約をどう読んでもそんなことは書かれていない。歴史的事実を無視したデタラメというほかないが、最高裁はこれを追認した(西松建設・中国人強制連行訴訟判決/2007年4月)。これが判例となり、日本の司法で外国人戦争被害者が救済される道は閉ざされてしまった。

自国民も「たかり」視

 このように日本政府は手前勝手な理屈を創案しては、戦後補償要求をはねつける「法の壁」としてきた。戦争被害者が日本人であれ外国人であれ、補償を行う意思は一切ないということだ。

 日本の支配層の冷酷非道さを示す事例がある。1979年6月、原爆被害者への補償のあり方を議論する懇談会が厚生大臣の私的諮問機関としてが設置された。その議事録は暴言であふれかえっている。ある委員は「歯止めをかけないと国家財政が破綻する」と言い、別の委員は被爆者の要求について「たかりの構造のあらわれのような感じがする」と吐き捨てた。

 いま韓国の元徴用工らに向けられている誹謗中傷の言葉が自国の戦争被害者にも使われていた。国家および支配層は戦後補償要求をそれだけ忌み嫌っている。被害者への補償が義務づけられでもしたら、戦争をすることができなくなってしまうからだろう。

 戦後補償問題の本質は、被害の救済を求める個人とそれを拒む国家・支配層との対立といえる。国家権力はそれを悟らせないために、国と国、民族と民族の争いであるかの如く偽装してきた。今の安倍政権がまさにそうである。ナショナリズムの罠にはまってはならない。    (M)



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