2019年04月26日 1573号

【未来への責任(272)群馬の森追悼碑と記憶の継承】

 4月6日、群馬県高崎市で「第12回強制動員真相究明全国研究集会」が開催された。今回のテーマは「市民のための『碑(いしぶみ)から学ぶこと』」であった。

 高崎市内の県立公園「群馬の森」の一角に「記憶 反省 そして友好」追悼碑がある。そこは日本陸軍の火薬製造所だった「東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」の跡地である。日清・日露戦争をはじめアジア太平洋戦争遂行において重要な役割を果たした、侵略戦争の歴史を背負った公園だ。県内では陸軍火薬製造所地下トンネル工事に朝鮮人労働者が多数動員され、犠牲となった事実も確認されている。

 1998年、朝鮮人強制連行犠牲者を追悼し、日本の加害の歴史的事実を広く市民に伝え、アジア諸国との友好・連帯をめざして「朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」が結成された。01年6月、追悼碑建立に関する請願を県議会が全会一致で趣旨採択し、「建てる会」と県の協議が開始され、03年8月には「群馬の森」に建設すること、碑文や碑の形状について合意が成立。翌04年、県知事が「群馬の森」への追悼碑設置を許可し(期間は10年)、4月17日に追悼碑が完成した。

 碑文には「先の大戦の最中、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大な損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する」としっかり刻まれている。

 ところが、毎年行われてきた追悼式での発言内容に対し、右翼から県に抗議・妨害行動が行われるようになり、県は一転して更新を拒否し、撤去を求めるようになった。「地方自治体が歴史修正主義に屈した」(下山順弁護士)のだ。「守る会」は不許可処分の取り消しと許可の義務付けを求めて提訴した。18年2月14日の前橋地裁判決は「裁量権に逸脱の違法がある」と認めたが、更新の義務付けは棄却した。現在、闘いの舞台は東京高裁に移り、加害の歴史の記憶をめぐる熾烈な攻防の現場にもなっている。

 今回の集会では記憶の継承の重要性と困難性が議論された。加害と被害の記憶は時間が経ち抽象化されれば、そのギャップは大きくなり相互理解を妨げる。私も特別報告の中で、韓国大法院判決について「パンドラの箱を開けた」と批判するマスコミ関係者の発言を紹介したが、日韓交渉史を振り返れば、「開けるな」と主張することは「軍事政権時代に戻れ」と言うことと同じだと理解できるはずだ。わずか数十年前の記憶もあいまいになり、認識のずれがはじまっている。戦後補償問題の解決を記憶の継承につなげること、その重要性を再認識した。

(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 山本直好)

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