2019年05月24日 1576号

【非国民がやってきた!(306)国民主義の賞味期限(2)】

 天皇代替りと改元の10連休、政府は天皇制とその儀式を縦横無尽に政治利用し、あらゆる批判を封じ込め、政権安定を図りました。マスコミは自ら「騒ぎすぎ」との記事を書かざるを得ないほど、翼賛報道に明け暮れました。「平成最後」「令和最初」の連呼、憲法無視の代替り儀式の挙行、平成天皇の異常な賛美、新天皇への跪拝。

 それでも新天皇の「一般参賀」は僅か14万人の天皇主義者を集めるにとどまりました。多くの庶民は観光地に出かけるか、自宅でゆっくり過ごしたのでしょう。

 天皇制に反対する市民運動による集会やデモは、主催者によるとかなりの成功を収めましたが、マスコミに無視されました。

 他方、不可解な事件も起きています。公表されたのは、第1に4月26日、お茶の水女子大学付属中学校の教室に侵入した男性が、秋篠宮の長男・悠仁(皇位継承者)の席に刃物を置いた事件です。4月29日、警視庁は現場から立ち去ったと思われる男性を逮捕しました。第2に5月2日、飛行禁止地域の皇居周辺で夜間にドローン(小型無人機)が飛んだ事件です。いずれも真相は不明ですが、いっそうの警備強化が図られています。

 新天皇の徳仁は5月1日の「即位後朝見の儀」において「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします」と述べたといいます(各紙報道)。

 これは平成天皇が1989年1月9日の「即位後朝見の儀」において「国民とともに日本国憲法を守り、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません」と述べたことと同じ趣旨と理解されています。

 「憲法を守る」との天皇の言葉は、憲法破壊の政治を続ける安倍晋三と比較してはるかにましと受け止められ、「護憲派の天皇」といった言葉も使われました。しかし指摘しておかなければならない数々の問題点があります。

 第1に、憲法尊重擁護義務の筆頭に天皇が掲げられています。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という憲法99条は、憲法違反をする恐れの高い者を指名手配しているのです。「国民とともに日本国憲法を守り」ではなく「国民の命に従って日本国憲法を守り」と言うべきなのです。

 第2に、天皇の政治的行為です。2016年8月8日の明仁のビデオメッセージは、憲法及び皇室典範が予定していない生前退位を天皇自身が打ち出した点で実に政治的行為でした。それ以上に問題なのは「全身全霊で象徴としての務めを果たしていくことが難しくなってきた」との言葉です。ここには「象徴としての務め」なる表現が盛り込まれています。その後この表現が頻出することになり、徳仁の「即位後朝見の儀」における「象徴としての責務」に受け継がれました。

 いつの間にか政府もマスコミも当たり前のように使っていますが、憲法4条は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」とし、憲法7条が「天皇の国事行為」を明示しています。にもかかわらず、国事行為とは異なる「象徴としての責務」を勝手に作り出し、国事行為と「皇室のしきたり」等の国事行為以外の行為とを混在させてしまいました。

 既成事実として行ってきたことを象徴としての責務と呼んだとも言えますが、国民主権の下で、天皇が自らの行為の範囲を広げたり、政府がこれを政治利用することは許されません。その際に問題となるのが、象徴の地位が「日本国民の総意」に基づいているとされていることです。ここに国民と天皇の野合の根拠があり、「日本国民の総意」を仮構できれば何でもありになってしまうからです。国民以外を排除し、国民と天皇が結託することによって、この国と社会の国民主義が肥大化していくのです。
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