2019年05月31日 1577号

【内外に広がる「恨(ハン)之碑」の意義 沖縄恨之碑の会 総会 6・15には追悼会も】

 5月11日、沖縄県宜野湾市で「沖縄恨之碑の会」総会が開催されました。

 「恨之碑」とは、沖縄戦に「朝鮮人軍夫」として朝鮮半島から強制動員され、戦闘の最前線での労務などで犠牲となった方々を追悼するため、韓国・慶尚北道英陽〈キョンサンプクドヨンヤン〉(1999年)と沖縄県読谷村〈よみたんそん〉瀬名波(2006年)に建立され、碑の軍夫像の彫刻は金城実氏によるものです。

 沖縄恨之碑の会は、これらの犠牲者を偲び、沖縄戦の実相、歴史の教訓を語り継ぎ、平和な沖縄・アジアをつくり上げるために活動しています。

「沖縄戦を掘る」と遺骨収容

 第1部、総会に合わせた講演・学習の場としてのポンソナ講座では、安里進さん(沖縄県立博物館・美術館前館長)を講師に「沖縄戦を掘る」と題した講演がありました。

 同氏からは、遺骨収容の際、可能な限り遺骨や周辺の状況を記録し、遺物を収集・収容することが、遺骨の「証言」を聞くことにつながることが語られました。

 具体的には「浦添ようどれ」(浦添市にある琉球王国の陵墓、沖縄戦で徹底的に破壊された)の発掘調査。遺骨収容とともに遺物を広く調査した結果、「数名の日本兵がトンネル内で自炊しつつ2週間戦ったが、米軍の手榴弾で殺され、火炎放射器でも焼かれた」ことがわかり、戦死者は発掘調査の結果、ありのままの戦場と自分の死に様を「証言」できた、とのことでした。

碑に韓国から来訪

 第2部総会では、恨之碑の存在、会の活動が内外で知られてきており、他グループとの交流も増えてきた現状が報告されました。碑の清掃もされてきた知花昌一共同代表が「韓国からの来訪者が増え、しばしばお供え物や(韓国の)お酒などが供えられている」と紹介。また、米国サンフランシスコの「慰安婦」正義連盟から、同会と沖縄恨之碑の会との市民の交流関係を作ろうと呼びかけのメッセージがありました。

 当面の方針では、「本部町健堅(もとぶちょうけんけん)の遺骨収容活動(注)に連帯・協力していく」ことなどが決まりました。

 内外への広がりが実感できた総会でしたが、この総会には、これまであまり繋がりのなかった市民も多数見えており、総会の場で入会の申し込みが相次ぐなど、会自身の充実をよく実感できました。

 恨之碑追悼会は、6月15日(土)開催。第1部の追悼会は、恨之碑前の広場で12時30分より。第2部の追悼平和コンサートとお話は、読谷村文化センター中ホールで14時30分より。

(注)沖縄戦時、米軍機の攻撃で朝鮮人2名を含む多数が死亡、同地に仮埋葬されたままになっており、「健堅の遺骨を故郷に返す会」が発足している。

     (大阪・福井朗)

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