2019年06月07日 1578号

【非国民がやってきた!(307)国民主義の賞味期限(3)】

 国民主義は西欧近代の国民国家の形成によって世界史に登場しました。いまや地球は約200の国民国家に完全分割されています(国連加盟国は193ですが未加盟国・地域を含めると200を超えます)。

 地上にも海上にも至る所に国境線が引かれています。入国管理、パスポート、関税が当たり前と思われています。人類史においてはごく最近の創作に過ぎないのに、人々にとっては「自然」と化してさえいます。国籍保持者を国民と呼び、政治的には主権の担い手を国民と呼び、制度においても集合体においても国民概念が重用されます。

 しかし国民主義は決して自然ではありません。人間本性にとって「外的な」、不自然なものなのです。私たちはいつの間にか外的な国民主義に乗っ取られ、洗脳され、骨の髄まで国民主義者になっていないでしょうか。国民主義者から人種主義者(レイシスト)への道に空間的距離はほとんどないにもかかわらず。

 地球全体が国民国家に分割された後、2つの逆流現象が生じました。1つは地方の復権です。中央政府の専権に抗して、地域主義(ローカリズム)が唱えられ、地方自治が重視されました。国民国家を「下から超える」というスローガンも見られました。しかしこれは国民国家を前提として、国民国家を補充する作用だったと見るべきでしょう。

 もう1つは国民国家を超える枠組みとしての地域統合です。「上から超える」試みの先進事例が欧州連合(EU)です。アフリカ連合(AU)や東南アジア諸国連合(ASEAN)といった試みも続いています。しかし、EUは東方拡大を続けたため性格が変貌しただけではなく、イギリス離脱という危機に直面しています。中東やアフリカからの大量難民流入に恐怖して、各国で過激な国民主義が吹き荒れています。

 日本でも国民主義は明治維新後に浸透し始めました。大日本帝国憲法では臣民という言葉でしたが、日露戦争後に国民という言葉が社会に普及したと言われます。

 国民新聞、国民徴用令、国民学校、国民年金、国民健康保険、国民宿舎、国民体育大会、国民栄誉賞――「くにたみ」という響きはしだいに遠ざけられ、「こくみん」の支配下に収められました。

 日本では国民国家を下から超える営みは希薄です。大日本帝国には地方自治そのものがありません。日本国憲法下の地方自治も極めて弱体です。辺野古基地建設強行にみられるように、いまだに地方自治はまともに機能していません。

 他方、上から超える試みは大東亜共栄圏という悪夢に呑み込まれ、東アジア共同体構想はなお遼遠の課題にすぎません。東アジア国際政治を規定してきたのは覇権国家アメリカであって、日米安保条約の下、日本はアメリカの「コバンザメ帝国」「下請けの帝国」の地位にしがみついているのが実態です。「コバンザメ帝国」は私の造語ですが、「下請けの帝国」は酒井直樹(コーネル大学教授)の言葉です。酒井直樹は、日本社会が特有の内向現象を呈していることに着目します。

 「内向化する社会は、決して日本に限ったことではないにもかかわらず、例えば『ひきこもり』と呼ばれる社会問題は日本で一番顕著に現れてきています」。

 西欧近代の国民国家の限界を、日本こそが先進的に露見させているのではないでしょうか。

<参考文献>
 酒井直樹『ひきこもりの国民主義』(岩波書店、2017年)
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