2019年06月28日 1581号

【未来への責任(276) 天皇制と元号の「檻」 今こそ解放】

 1945年の日本の敗戦を機に「戦後○年」という言い方が用いられる。一方、戦前と戦後で大きく日本社会が変わったにもかかわらず、1926年から1989年までを「昭和の時代」と元号でくくられもする。

 そして、昭和天皇の誕生日である4月29日は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」として「みどりの日」から「昭和の日」へと変えられた。明治天皇の誕生日もその「偉業」を後世に残すために明治節となり、戦後も「文化の日」として残された。また、戦後に廃止された「紀元節」は「建国記念の日」として1967年に復活した。現在、国民の祝日に関する法律に定められた16の「国民の祝日」のうち、戦前から引き継がれた天皇制に関係する祝日は半分を占める。―建国記念の日(紀元節)、天皇誕生日(天長節)、春分の日(春季皇霊祭)、秋分の日(秋季皇霊祭)、昭和の日(昭和天皇の誕生日)、海の日(海の記念日)、文化の日(明治節)、勤労感謝の日(新嘗祭)

 そもそも元号は漢の武帝により、皇帝の支配が空間だけでなく時間にも及ぶことを示すために始まったとされる。日本では明治時代になって「一世一元」が旧皇室典範に定められたが、敗戦によって法的根拠を失った。しかし、再び1979年に元号法が制定された。このように日本では未だに天皇が”時”を支配している。

 昭和から平成への改元は天皇の病死により、皇室典範に則り個人の意思が介入することなく行われた。しかし今回の改元は、天皇自らの退位したいという「メッセージ」がきっかけだ。憲法第4条は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定する。憲法第7条には、天皇が「内閣の助言と承認により」行う10項目の国事行為が定められている。しかし今回、「権能」を有しない国政に自ら関与し、特例法まで作らせ、「上皇」の地位に就いたのである。明白な違憲行為ではないか。

 今年1月の前天皇最後の一般参賀には15万人が、新天皇の即位を祝う5月4日の一般参賀には15万人が、参加したという。「大量動員」を支えるのが天皇の地方訪問など天皇と「国民」を直接結びつける様々なツールである。地方訪問の「四大行幸啓」と呼ばれるのが植樹祭、国民体育大会、海づくり大会、国民文化祭である。新天皇は6月1日、植樹祭出席のため即位後初の地方訪問に赴いた。これに際して日本会議などが行うのが戦前を彷彿させる「提灯奉迎」であった。

 提灯を左右にかざしながら万歳三唱する人々を天皇夫妻がホテルの高層階から見下ろし、提灯を揺らしてこれに応える。SNSには「両陛下が提灯をお上げになれば僕らも提灯を上げ、左右にお振りになれば僕らも等しく左右に。あの一体感&高揚感、それが提灯奉迎」と書き込まれる。

 このような「国民」に染み付いた天皇制とそれを体現する元号の「檻」から私たち自身を解放しなければならない。

(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 中田光信)

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