2019年08月16・23日 1588号

【DSA国際委員会/ビル・イェィツさんに聞く/飛躍の要因は政策と対話】

 2019ZENKOin東京(第49回平和と民主主義をめざす全国交歓会)参加のために来日した社会主義団体DSA(アメリカ民主主義的社会主義者)国際委員会のビル・イェィツさんに、DSAが急速に影響力を拡大した運動などについて聞いた。要約すれば、人びとが求めている政策を掲げ、戸別訪問活動でその政策への共感を広げたことだ。MDS(民主主義的社会主義運動)主催の国際連帯集会などでの発言を交え、編集部の責任でまとめた(インタビューは7月31日)。


どれほど拡大しているのか

 DSAは2つの選挙を通じて組織は10倍になった。それまでの6千人のメンバーは6万人になった。2016年の大統領選挙と18年の中間選挙が飛躍の場となった。

 大統領選挙でDSAは、15年の民主党候補者選びの過程で、民主主義的社会主義者を名乗るバーニー・サンダース上院議員を支援した。多くの若者がサンダースの選挙ボランティアに参加し、DSAを知った。中間選挙では、DSAの候補者を当選させようと動いた。連邦議会下院では最年少女性議員アレクサンドリア・オカシオコルテス(29歳)や初のムスリム女性議員ラシダ・タリーブ(42歳)が当選、共闘・支援したイルハン・オマルなども当選した。

 地方議会でも多くの議員を誕生させた。特にシカゴ市議会では定数18のところ、8議席をDSAが占めた。もう少しで過半数。大きな発言力を得た。大統領予備選以前は、共闘関係のある政党、団体の候補を支援してきた。シカゴでも支援した議員は2人だったので、大きな前進だ。

 DSAの支部は全米50州すべてにある。中でも大きい支部は大都市だ。ニューヨークやシカゴ、フィラデルフィア、ボストン、シアトルなど。共和党が強い州はこれからだ。


どんな理由で加入しているのか。

 「民主党は民衆の声を代表していない。官僚的だ。少数者による支配が強い」「集会はだらだら長く、つまらない。退屈だ」などと口にする。「DSAは違う」と感じた人は多い〈注―DSAが数千人の時代の平均年齢は60代後半、急成長後は30代前半になった。大統領選後に加入した人の2万4千人のうち70〜80%は35歳以下と報道されている(「ネイション」誌2017年12月)〉。

 私が所属するシアトル支部は600人が1300人に倍増した。年齢構成は半数が35歳以下であり、35〜50歳はその半分、50歳代以上はその半数といった割合だ。シアトルでは、選挙後の加入者も年齢や人種・職業など特定の階層というわけでなく、まんべんなく増えたように思う。それぞれの地域の特性はある。

 DSAの中に、29歳以下の青年層で構成するYDSA(アメリカ青年民主主義的社会主義者)が作られている〈注―DSAのNPC(全国政治委員会)18人の中に2人のYDSA共同代表がはいっている〉。

 シアトル支部では、YDSAは全体プロジェクトの中心的役割を担っている。例えば、毎週開催しているソ−シャリスト・ナイトスクール。社会主義の理論や歴史などの初歩からマルクスやローザ・ルクセンブルクの読書会などの運営を行っている。

 また、労組支援の呼びかけフライヤーの作成やSNSでの発信など。若者の情報発信能力は優れている。それぞれの若者が何がしたいのか、よく聞き適切な役割分担をすること。組織がさらに大きく伸びていくには、YDSAに活躍の場を与えることだ。

拡大した要因はなにか

 こうした躍進が可能であった理由の一つは政策への信頼だ。17年の全国大会には20本もの重要方針が提案されたが、議論を重ね3点に集約された。メディケア・フォー・オール(すべての人のための医療)の実現。労働組合の活性化。選挙闘争の強化。DSAの活動は各支部が主体的に取り組んでいる。支部では実に多彩な取り組みがされている。シアトル近郊のタコマ市では移民の収容所問題に取り組んでいる。

 来年の大統領選挙には、バニー・サンダースを支持する。NPCの投票で決めたが、もめることはなかった。進歩的な候補者は確かにいるが、自ら社会主義者と名乗る候補者はいない。サンダースはDSAの名誉会員みたいなものだ。存在自体がDSAの広告塔だ。

 CNNが民主党大統領候補の討論会を放送していた。サンダースが掲げるグリーン・ニューディールなどについて進歩的な候補者も賛同し始めている。右派の候補者は、財源はどうすると否定的な意見を述べているが、「共和党のような言い訳をするな」と一喝されていた。民主党として受け入れざるを得なくなっていくだろう。

政策を広めるためになにを

 選挙に勝つには、より多くの支持者をつくり、投票してもらうことだ。その選挙闘争で効果的だったのが、戸別訪問だ。2016年7月、カリフォルニアの看護師協会が200人のメンバーで戸別訪問を始めた。非常に反応が良かった。全支部へとその方法が波及した。戸別訪問の活動をしなかったら、私たちの政策は届かなかっただろう。

 DSA結成当時は選挙闘争は二の次だった。だから、選挙運動と言っても電話かけやチラシ配り程度。ドア・ベリング(呼び鈴を鳴らすこと)もしたが、家の人が出てきても、チラシを置いてくるだけでは感じがよくない。私は、対話をすることを目的に訪問するキャンバシング〈注―一人ひとりから意見を聞くこと〉という言葉を使っている。
 2020年の大統領選に向けて、シアトル支部では1000人の運動員で戸別訪問をやろうと計画している。

さらなる前進のためになにを

 日本の大学にいた1975年頃、日本の左翼運動について論文を書いたことがある。「日本社会党の体制内化」を分析したものだ。あれほど戦闘的に闘っていた社会党が、次第にスケジュール闘争に陥り、影響力を失っていった。その原因は、少数の指導部の支配、派閥政治の傾向が強まり、社会問題に鈍感になっていったからだと思っている。

 MDSはDSAの立場と似ている。政党を名乗っておらず、他政党との共闘、支援関係をつくっている。DSAは政策協定を結んだ候補者を支援するし、当選した議員はDSAの政策実現に努力する。

 毎年のように日本には来ているが、ZENKOやMDSとの交流はとっても刺激的な時間だった。具体的な成果、実りが得られるまで交流を続けていきたい。

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