2019年08月30日 1589号

【未来への責任(280)解決には当事者の意思尊重が不可欠】

 8月10日、「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動2019」が都内で開催された。「今、ヤスクニと植民地支配―なぜ加害者が被害者ヅラできるのか―」とは、ずいぶん刺激的なテーマである。

 東京大学の高橋哲哉さんは「細川首相以来、歴代首相は植民地支配をお詫びした。しかし、安倍首相は植民地支配を事実上正当化している。1960年代の日韓交渉の際、日本政府は植民地支配を一切認めなかった。安倍首相の姿勢は同様で、当時の日本政府の認識にまで後退させるものだ」と批判した。強制動員問題研究者の竹内康人さんは、日本政府の被害者ヅラに切り込む。「安倍政権は、損害賠償の個人請求権を認めた大法院(韓国最高裁)判決を国際法違反とし、『韓国が国際法を破り日韓関係を破壊した』と被害者としての日本を強調する。同調する右派は、韓国民衆の独立運動を反日教育、レイシズムと攻撃する」と指摘した。つまり、加害者が被害者として振る舞っている。

 高橋さんは、被害者の側から見た今年の歴史的な重さを述べている。「今年は『三・一独立運動100周年』『五四運動100周年』『琉球併合140年』『北海道命名150年』だ。すなわち、植民地帝国が拡大していった歴史がよく見える。私たちは、植民地主義の歴史を解消できていない」。安倍政権は、植民地時代の被害補償を求めるアジアの被害者や基地撤去を求める沖縄民衆から被害を受けている、秩序を破壊されているというのだ。

 「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が、開会3日で中止に追い込まれた。抗議の電話が殺到し、脅迫のFAXも送られた。河村たかし名古屋市長が視察し「日本国民の心を踏みにじる行為で、行政の立場を超えた展示」と大村秀章愛知県知事に中止を求めた。日韓対立が煽られる最中、日本政府の政治目的に組み込まれた対応だ。

 行政の長の介入が、中止という選択の契機となったことは確かだ。河村市長の言う「日本国民の心」の「日本国民」には、果たして、政権の政策に反対の国民は含まれているのだろうか。この言葉の裏には、「反対する者は非国民」という危険な思考が含まれている。

 今、「表現の自由を守れ」の声が上がっている。政権の政策に反対の立場の者や選挙権のない外国籍住民も納税者である以上、公金による補助があろうと表現の自由は守らなければならない。それが全体の利益を守る行政の責任だ。展示は再開すべきである。

 一方、出展者の意思を全く聞かないで中止が決定されたことは、主催者側に真摯な反省が求められるのではないか。かつての「国民基金」、そして、2015年の「慰安婦」合意、いずれも当事者の意思を飛び越えて作り出した「解決」だった。それが、今日までの歴史清算を巡る深刻な混乱と対立を再生産してきた。再開かどうか、再開するにはどうしたらよいか、出展者も含めて徹底的に議論する必要がある。解決には「当事者主義」が不可欠である。

(日鉄元徴用工裁判を支援する会 山本直好)

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