2019年08月30日 1589号

【シネマ観客席/太陽がほしい 劇場版/監督・撮影 班忠義 2018年 中国・日本 108分/証言で綴る戦時性暴力の実態】

 公開中のドキュメンタリー映画『太陽がほしい・劇場版』(班忠義監督)が反響を呼んでいる。本作品は、中国大陸における旧日本軍の戦時性暴力の実態を被害女性や元日本兵らの証言によって明らかにしている。「慰安婦問題は完全なデマ」といった政治家の暴言がまかり通る今だからこそ、多くの人に見てほしい映画だ。

「私は慰安婦ではない」

 1992年12月、東京で行われた「日本の戦後補償に関する国際公聴会」には、日本軍による性暴力被害者が韓国、朝鮮、フィリピン、オランダなどから参加した。その中に中国山西省から来日した万愛花さんがいた。彼女は日本で初めて証言する中国人元「慰安婦」として報道された。

 「日本軍に暴行を受けたせいで私の身体は変形してしまった。信じてくれないならここで見せます」。万さんはそう叫ぶと意識を失い、舞台に倒れ込んだ。当時、日本の大学に留学中だった班忠義監督はこの光景に衝撃を受け、3年後、中国の万さんを訪ねる。以来約20年間、中国人被害女性の聞き取り調査や支援活動に取り組んできた。

 「私は慰安婦ではない。誰に何と言われても慰安婦ではない」と語る万さん。彼女の被害はいわゆる「慰安婦」とどう違うのか。被害女性らの証言から浮かび上がってきたのは、日本軍による性暴力の多様な形態だった。

軍のある所に性暴力

 班監督は80数名の中国人被害者から話を聞いているが、「慰安所」に入れられた経験を持つ者は2人だけだった。日本軍の性暴力は「慰安所」制度の枠内にとどまらないということだ。中国戦線では「日本軍構成員によって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女を含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦をくり返す行為」(中国人「慰安婦」第1次訴訟・東京高裁判決)が常態化していたのである。

 万さんは数え年15歳であった1943年6月から同年12月にかけ、3回にわたって日本兵に拉致された。共産党員であったことから「名簿をよこせ」と拷問され、性暴力を受けた。日本兵はまず次々と強姦した後で、殴る、蹴る、体毛を引き抜くなどの暴行を加えたという。

 劉面換さん(当時16歳)は武装した日本兵らに無理やり自宅から連れ出され、ヤオトン(横穴式の民家)に監禁された。昼間はそこで複数の日本兵に強姦され、夜は隊長の部屋に連れていかれ犯された。郭喜翠さん(当時15歳)は3度にわたる拉致・監禁・集団強姦で精神状態がおかしくなり、戦後も重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しめられた。

 加害者側の元日本兵の証言はどうか。「日本軍は赤ん坊まで殺した」という万さんの言葉を裏付けるように、金子安次さんは「部落掃討をやると必ず婦人を強姦した。子どもを殺した」と証言する。子どもは成長し日本軍の敵になる。だから「女や子どもを見つけたら殺してしまえ」との指示が出ていたというのだ。

 山東省を転戦した鈴木良雄さんは「性暴力の事実が抜けちゃったら、戦争の真実は伝わらない」と話す。たしかに、軍隊のあるところに性暴力があった。「慰安婦」にされた女性の被害の背後には、戦場や占領地で犯され殺された無数の女性たちの被害が存在するのである。

真理を取り戻す

 中国人女性をトーチカ(コンクリート製の防御陣地)に監禁し、強姦していたと語る近藤一さん。彼は戦後、自身の沖縄戦体験を語り継ぐ活動をしていたが、やがて中国での経験も語るようになった。「捨て石にされ無残に死んだ兵隊が、実は中国人に対してひどい行為をしていたのです。加害の事実を語らねば不公平だと思うようになりました」

 しかし、加害と向き合う者は日本社会では少数派で、過去を隠蔽する政治家の言動がまかり通ってきた。今また、日本軍「慰安婦」問題を象徴するモニュメント(平和の少女像)の展示をめぐり、「拉致監禁され性奴隷として扱われた慰安婦はいない。全くのデマだと思っている」(松井一郎・大阪市長)といった発言が横行している。

 班監督は「今日、日本社会で『慰安婦問題』というと韓国女性を対象とした強制性の有無が議論の中心となっていますが、このような問題のわい小化は日本と中国、東南アジアの国々にとって、不幸な歴史をより不幸にさせるものだと思います」と語る。

 タイトルの『太陽がほしい』は暗いヤオトンに監禁された劉さんが心から発した「太陽の光を浴びたい」との言葉からとられている。同時に、日本政府を相手に8年間の裁判闘争を闘った万さんの「勝利の可能性を感じる光がほしい」との心情でもある。つまり、「奪われた真理を取り戻す」(万さん)という性暴力被害者の思いが込められたタイトルなのである。

 中国人戦争被害者の「訴権」(裁判に訴える権能)は1972年の日中共同声明で失われたとして、日本の裁判所は万さんたち被害女性の賠償請求を退けた。それでも万さんは「最後まで闘う。死んでも魂となってみなとともに闘う」と訴え続けた。

 その万さんも2013年に亡くなった。映画に登場する中国人被害女性の中に存命者はもういない。彼女たちの人権回復は私たち日本市民の課題である。安倍政権に連なる戦争勢力による歴史歪曲策動を許してはならない。(O)



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