2019年08月30日 1589号

【日本軍「慰安婦」メモリアルデー/水曜デモ1400回世界同時アクション/少女像は解放・平和・人権の象徴】

 日本政府が国会で軍隊「慰安婦」の存在と関与を認めなかったことをニュースで知り、韓国の金学順(キムハクスン)さんが「ここにいる」と初めて名乗り出たのは1991年8月14日。翌年の宮沢喜一首相(当時)訪韓を機にソウルの日本大使館前で始まった水曜デモは今年8月14日で1400回を数える。この日、約2万人が参加した同大使館前をはじめ9か国20数か所で世界同時アクションが開催された。

 都内では、戦時性暴力問題連絡協議会などの主催で集会・デモが行われ、約250人が集った。日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表の梁澄子(ヤンチンジャ)さんは水曜デモ1400回を振り返る。「当初はさみしい集まりだった。600回で飛躍的に拡大し、700回は8か国14都市の世界的連帯デモ。以降、子どもたちも参加する平和学習の場になり、韓国内の米軍基地村で働かされた女性たちも参加し、のちに韓国政府の責任を追及して提訴・勝利する。参加者は解放・平和・人権・希望を求める活動家となっていき、1000回を迎えた。韓国政府は無関心を通していたが、大法院(最高裁)がそれを憲法違反とする判決を出し、世論も動き、日本政府と強制連行問題で本格的な話し合いをせざるを得なくなった」

 この時、『平和の碑』の名称で韓国社会の解放・平和・人権・希望を願って制作されたのが、今『平和の少女像』と呼ばれているもの。梁さんは「少女の隣に置かれた椅子や影や握った手など、全体としての意味があり、これを『少女像』と言ってしまうと意味が狭くなってしまう」と指摘した。

 集会プログラムの特徴は「若者たちが語る『慰安婦』問題」。教科書から「慰安婦」の記述が消されていく中、大学生がアンケート調査を行い、歴史修正主義に対し理論的批判を加えた。一橋大学の学生は「強制連行」「謝罪」などの語を厳密に定義し、「強制性があったのは明らか。加害事実を認めない謝罪では過ちは繰り返される」と報告。「真の謝罪は、文言や賠償金など一過的なもので『解決済み』とか『不可逆的』ということではなく、むしろそこから始まる“線”のはずだ」とまとめ、会場から大きな拍手がわいた。

 被害者の人権回復の立場に立った徴用工問題の解決をめざして韓国・ソウルでは8月14日国際会議が、15日国際平和行進が行われた。(写真は「強制動員謝罪し賠償判決履行せよ」のプラカードを持つ原告の李春植(イチュンシク)さん(右)ら。提供−民族問題研究所)

ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS