2019年09月27日 1593号

【9月ZENKO沖縄参加団 戦死した伯父の名 平和の礎に 胸に抱えた氷山@nけ出す】

 沖縄連帯参加団には沖縄とのさまざまな関わりの中からの加わったメンバーがいる。9月6〜8日、現地を訪れた大阪市城東区のY・Kさんに思いを寄せてもらった。

 ZENKO沖縄参加団にお誘いいただいて、是非とも行きたいと思いました。

 私の伯父は沖縄の浦添で戦死しています。20年ほど前、糸満に「平和の礎」が建てられ沖縄戦で亡くなった方々の名前が刻まれていることをニュースで知って、伯父の名前もあるのかしらと気になっていたからでした。

 伯父の妹である私の母やその妹、いとこたちと皆で一度沖縄へ行こうと言ってましたが、母も叔母も高齢で病気に苛(さいな)まれ、実現することはありませんでした。母や叔母も亡くなり、いとこたちもその話はしなくなり、私はずっと、たとえ1人でもいつか沖縄に行って伯父の名前を探すんだ! と心の内に秘め悶々とした日々を過ごしていました。

 そんなころ、テレビでガマフヤー(沖縄の言葉で遺骨収集)のボランティアを40年もしている具志堅隆松さんが政府にDNA鑑定を要求していることを知り、何としてもこの方に会いたいと思うようになりました。「政府は国策で戦争を引き起こし、国民を犠牲にし、たくさんの戦死者を出したのだから、遺骨をDNA鑑定し遺族に返す義務がある」とおっしゃっていました。

 具志堅さんたちのご苦労で、政府も少しずつ前向きに検討し始めているということ。私は礎の名前探しだけでなく、伯父の遺骨が帰ってきてくれたら、天国のお祖父さん、お祖母ちゃん、母や兄弟たちがどんなに喜ぶだろうかと考えるようになりました。

 沖縄に行き、お陰で平和の礎に伯父の名前も見つかり、涙が溢れ出ました。

 私たちが沖縄に居る間に日朝友好の功労者キム・スソプさんが亡くなり、急遽、お線香をあげ手を合わせに行く機会が。なんと、その場に具志堅さんが来られており、ご紹介いただけたのです。

 長年、胸に抱えていた氷山がいっぺんに溶け出していくのを感じました。

 辺野古新基地建設現場も訪れ、反対運動の方々ともお会いできて良かったです。生涯“不屈≠フ精神で沖縄を護り抜いた瀬長亀次郎の不屈館でも勉強させていただきました。

 今回の沖縄行きは、私にとって本当に有意義で、すべてが感動で、言葉では言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです!! ご一緒して下さった皆様のご厚意に感謝します。有り難うございました。



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