2019年11月01日 1598号

【東電刑事裁判 事実を葬り去った無罪判決 控訴審で責任問い断罪を】

 9月19日、東京電力の旧経営陣(勝俣・元会長、武黒・元副社長、武藤・元副社長)の刑事責任を問う裁判で、東京地裁(永淵裁判長)は、被告3人に結論ありきの不当な無罪判決を言い渡した。検事役の指定弁護士は10月2日、判決を不服として控訴。控訴審に向け、改めて判決がどのように事実を葬ったのかを見てみよう。

長期評価の信頼性

 この裁判の争点は、(1)巨大津波を予測できたかどうか(予見可能性)(2)予測できたとして対策は可能だったのか(結果回避可能性)の2点。(1)は、国の地震調査推進本部の長期評価(津波地震予測)の信頼性という問題にも関連する。

 被告人らの主張は、(1)長期評価には専門家の中にも異論があり、長期評価の信頼性は低かった(2)東電設計によって行われた計算結果(津波高15・7b)を基にしても、敷地東側正面全面からの津波の襲来を防ぐことはできなかった、というものだった。

 長期評価部会長を務めた地震学者の島崎邦彦さんは「長期評価はさまざまな専門分野のトップが議論してまとめたもの」、予測した地震の発生地域や規模については「明らかに皆が認める事実や知見に基づいていた」と証言。都司(つじ)嘉宣さん(歴史地震と津波の専門家)も同様の証言をした。

 国の安全審査の中核メンバーだった地震学者の阿部勝征さんは検事に対する供述調書の中で、「太平洋プレートは一続きになっており、その地体構造に違いは見られないので、福島沖から茨城沖でも起こることが否定できず、どこでも発生する可能性がある」「原子力事業者としては長期評価を前提とした対策を取るべきであろうと考えていた」と述べていた。

 近い将来、日本海溝寄りで大きな津波地震が起こることは専門家の一致した知見となっていたのだ。

津波対策を無視 先送り

 指定弁護士は、津波対策(結果回避措置)として、防潮壁の設置、建屋入り口等の水密化、電源の高台設置などの対策をとるべきで、それらの対策を講じるまで運転を停止すべきだったと指摘した。

 現に日本原子力発電は、東海第二原発で建屋への浸水防止、海沿いの盛土などの工事に2008年に着手し、2011年までには完了していた。同社元幹部は、「長期評価などを基に津波がいつか来るというリスクは社内で共有されていたと思う。まずはできる対策を取っていき、大規模な工事は今後順次やっていけばいいという考えだった」と証言している。

 東電自身も、第3回溢水勉強会(2006年5月)で、津波が襲来した場合の対策として、進入路の防水や海水ポンプの水密化、電源の空冷化、さらなる外部電源の確保などを挙げていた。

 検事に対する供述調書や裁判での証人尋問で、東電社内では経営陣の了承を得て、津波対策を検討していたことが明らかになっている。

 経営陣の方針が変わり、津波対策を先送りするのは、長期評価を取り入れた津波計算で15・7bという数字が出てきて(2008年3月)からだ。それまでとは対策の規模が桁違いに大規模になり、防潮堤などの工事に取りかかる際に地元自治体から原発の運転停止を求められる可能性が浮上したからだ。2007年7月に発生した中越沖地震で柏崎刈羽原発がすべて停止し、「福島第一原発まで停止すれば、さらに収支が悪化する」(山下和彦・中越沖地震対策センター長の供述調書)との経営判断が働いていた。

無罪判決の論理構造

 指定弁護士がたんねんに積み重ねた証拠資料や証人から引き出した証言を素直に検証していけば、津波の予見可能性はあり、結果回避可能性もあったという結論しかない。

 それをひっくり返し無罪を導き出すために判決が編み出したのが、津波対策を原発の運転停止に限定し、果たして原発を停止させるほどの緊急性があったのかという問題の立て方だった。

 判決は、原発の運転停止は「ライフライン、ひいては当該地域社会にも一定の影響を与える」から簡単には決断できない。長期評価には、それでも原発の停止を義務付けるほどの信頼性や成熟性はなかったとした。だが、電力が余っていたことは原発事故で実証されたし、経営陣は当然わかっていた。実際には、山下調書が言うように、赤字がかさむという経営的判断が優先されたのだ。

 判決は、公判で明らかになった長期評価の公表以降の社内での検討や取り組みなどの事実をことごとく無視して「無罪ありき」の論理を組み立てた。極めて悪質だ。

最高裁判決すら否定

 さらに、判決は「国の指針、審査基準等の在り方は、上記のような絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかった」として、一般防災よりも格段に高いレベルが求められる原発の安全性確保のために長期評価を取り入れる必要性を否定した。これは、「(原発事故が)万が一にもおこらないよう」安全性を確保すべきとした伊方原発最高裁判決(1992年)さえも否定し、これまで国も電力会社も認めざるをえなかった「原発の安全性」をも大きく切り下げるものだ。

 誰一人納得できないこうした判決を認めてはならず、控訴審で徹底した審理を求め、運動と世論の力で断罪しなければならない。



 
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