サミットを辞書で引く。「山の頂上」「各国の首脳が一堂に会する会議。トップ会談。頂上会議」などとある。
まるでお祭りのように政府や自治体が音頭をとって盛り上げる。市民は防犯協会などの地域組織に参加させられる。成功のための企業や市民からの寄付が集められる。地ビール会社の商品の値段には一円カンパが組み込まれた。
気が狂っている。山の頂上からは、空気の底ではしゃぐ姿がどのように見えるだろうか。
狂想曲を異邦人のような奇妙な感覚で眺めるでもなく感じていた。
金欲しさに踊り狂う人々。したたかでずる賢い。紋切り型のスローガンで現実を補完する人がいる。権力の要請に応えて無知をさらけだす知識人もいる。狂想曲は簡単には止みそうもないし、この曲が招く未来はあまりいい光を放っていない。
この「お祭り」の後を想う。私たちは相変わらずだろうか。昨日とは違う、決定的に違う明日を私は想う。それが悪夢だとしたら、その悪夢を回避するために私の人生を使いたい。
頂上の人々の恩寵が世界を動かすわけではない。
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遠くから眺めると、ブロッコリーのよう。イタジイの森を歩く。運動不足の足腰がきしむ。ここまでは狂想曲は聴こえてこない。鳥の声。風の音。いろんなざわめき。人工的な狂想曲ではない、ざわめきの中でビジョンがうごめく。私はまだ言葉を持っていない。
山の頂上から海が見える。海岸にある米軍基地。海岸沿いの狭く平らな場所に人々の集落。人々は森をどうするだろう。数十年前には持っていなかったこの森を簡単に殺せる力を人々は持っている。
頂上会談の人々はジュゴンの生きる海を殺し、他者を殺戮する力を持っている。ヤンバルのそれほど高くもない山の頂上で私たちは、ジュゴンと共に生きる世界を想う力を持っている。
新たな基地建設に反対する名護市民の運動は、市民という十把一からげにできる階級や人間が存在するわけではないのと同じように、多様な展開をみせる。従来の組織的な運動を担う人々もいる。そうではない新たな展開を模索する人々もいる。転形期なのかもしれない。混沌とした多様性の中から、明日を創り出す光が立ち上がることを私は信じ願い行為する。
「ジュゴンと共に生きる」という希望がはらむ、未来へのポジティブな意思を私は大切に生きたい。
頂上会談の人工的な狂想曲を遠く離れて、おおらかで美しいノイズを抱きながら、下界で、それもジュゴンが生きる海を臨みながらあなたと会いたい。
(筆者は名護市議会議員)