2000年07月21日発行649号

【闘う闘争団を全国から支えよう 7・1国労臨大 四党合意承認阻止した闘争団 「JRに法的責任あり」 私たちはまだまだ闘える】

 「JRに責任なし」の四党合意承認をねらった七月一日の国労臨時大会は、闘争団と家族の闘いが採決を許さず、休会となった。この日、体を張って闘いぬいた一人の闘争団員の姿を追った。

 九時二十分。会場前に座り込んだ闘争団員や家族、支援者の集会が始まる。音威子府闘争団の吉田儀則さんが発言に立った。「このままでは十三年間闘ってきた意味がなくなってしまう。今日は皆さんと一緒にがんばりぬく」。マイクを握る手も、踏ん張った両足も、怒りと緊張でぶるぶると震える。

仲間の分まで闘う

 何としても臨時大会をやめさせようと十日前から上京した吉田さんは、本部への要請やJR職場オルグ、全国の大会代議員への手紙の発送とめまぐるしく活動してきた。「本来ならば全員で上京したかったが、それぞれ仕事もある。今日はみんなの分まで闘わなくては」と気持ちを引き締める。

 吉田さんには高校一年と中学二年の二人の息子がいる。親元を離れて暮らす長男からは四党合意案を知って「いい方向に進むの」と電話。妻の光代さんが「そうじゃない」と説明すると、「今までお父さんが闘ってきたことが無駄になるのか」とつぶやいたという。「下の子は高校へ進んで野球をやりたい、と思ってるようです。親としてやりたいことをさせてやりたい。納得できる解決でないと困る」と吉田さんは話す。

 昼近くになり、本部役員が会場前に現われた。団員や家族が駆け寄り「十四年間の闘いを無にしないで」「JRに責任があると言ってください」と取り囲んで追及。誰一人会場に入れない状態が続く。

 開会予定時刻の一時すぎ、機動隊が裏口に座り込む闘争団を強引に排除しようとした。スクラムを組んで懸命に押し戻す吉田さん。最高気温は三十三度近く。真夏の日差しが照りつけ、誰もが全身に水を浴びたように汗びっしょりだ。

拍手採決を阻止

 午後五時。大会が開かれることになった。家族がハンカチを握り締め「私たちを切り捨てないで」「四党合意に反対して下さい」と入場する代議員に訴える。吉田さんは後ろに立って、その様子に厳しい視線を送る。後で、この時の心境を聞くと、「誰が味方なのか確かめたい一心で辺りのことは全然目に入らなかった。賛成派だと思ってた人が家族の手を握りかえしたのを見て、目頭が熱くなっていたんですよ」

 大会の場でも、吉田さんは黙ってじっと座り続けた。ただ一度、賛成派が「四党合意をのみ、職場に戻って労務政策を変えさせる闘いを」と発言した時に大声が口をついて出た。「JRに責任ないんだったら、お前が首を切られても文句は言えないんだ」

 拍手採択を前提に、質問にも一切答えようとしない書記長集約が始まると、「人の一生を勝手に決めるな」と団員が議長席に押し寄せた。ついに大会は休会。吉田さんは議場の外で開かれた首都圏の会の集会に拍手で迎えられた。「こんなくだらない大会に一日つきあってくれてありがとう」に拍手と笑い声。「中止か延期を求めていたので、これは成果」とようやく顔をほころばせた。

地域に根ざし闘う

 十三時間に及ぶ闘いの一日を終え、吉田さんはうまそうにビールを飲み干した。「ほっとした。これで支援の仲間にも何とか説明できる」。そして言葉を継ぐ。「不当労働行為があったかなかったか、というのが闘いの原点。JRには責任がないとすればすべてがなかったということさ。『私たちはまだまだ闘える』という家族の言葉がみんなの気持ちだ。宮坂書記長なんか闘争団の現場に一度も来たことがない。俺たちの思いがわかってたまるか」

 音威子府闘争団は木工や羊かん、味噌など独自の製品を次々に開発してきた。今は漬物に取り組んでいるという。「蕗(ふき)も試したんだが、あれはだめ。大根はいけそうですよ。これがうまくいけば、地元の農家との協力もできて、村おこしにもつながる。地域に根ざして自活すれば、本部が何と言おうと闘っていける」。吉田さんは楽しそうに語り続けた。

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