2001年01月26日発行674号

【映画 / バトル・ロワイアル / ―中高生が「支持」する理由 / 作品世界と現実を重ねる / 「人生なんてサバイバル・ゲーム」】

 中学生が殺し合いゲームをする設定が話題の映画『バトル・ロワイアル』が大ヒット上映中である。観客動員百四十万人突破、原作の小説も七十万部を記録したというから、ちょっとした社会現象と言っていい。多くの中高生が『バトル・ロワイアル』を支持する理由を探ってみたい。

上映規制への反発

 新世紀のはじめ、不況のどん底にいたこの国の教育は崩壊していた。自信をなくした大人は子どもを恐れ、ある法律を作った。新世紀教育改革法、通称BR法である。

 この法律は全国の中学校から三年生の一クラスを抽出し、無人島で「殺し合い」をさせるというもの。プロレスのバトル・ロイヤルのように勝者は一人。つまり、生き残るためには級友を皆殺しにしなければならない。

 今日もまた悪夢のサバイバル・ゲームが始まろうとしていた。「今日はみんなに、ちょっと殺し合いをしてもらいます」……。

 映画『バトル・ロワイアル』はざっとこんな話である。公開前から何かと物議をかもし、ポルノ以外ではめずらしく映倫の自主規制(十五歳未満入場禁止)の対象になった。

 もっとも大人が「観るな」と言えば言うほど、子どもは観たくなる。結果的に、国会議員が上映中止を訴えるなどの騒動は、この作品に対する子どもたちの幻想をふくらませる役割をはたした。「タテマエばかりの大人が隠そうとするこの映画にこそ真実がある」というように。

 実際、『バトル・ロワイアル』を支持する子どもたちの思い入れはハンパじゃない。

「(劇中の)四十人の生徒たちが同い年ということもあって、リアルに頭の中をかけめぐるのです。もし自分がBR法の犠牲者になったら…。自分を失わずにいられるか、自信がありません」(15歳・中学生)

 これは公式ホームページに寄せられた意見だが、「中学生どうしの殺し合い」という設定に、自分の日常生活を重ね合わせた感想が実に多いことに驚かされる。

根深い人間不信

 「荒唐無稽な物語のどこがリアルなんだよ」と、あきれる人もいるだろう。しかし、殺し合いはともかく、自分の知らない間に路線が決められ不本意な生き残り競争を強いられるという物語の枠組みは、今の中高生にとって十分すぎるほど「リアル」なのではないだろうか。

 映画の中の中学生は、不条理な事態に、それぞれ懸命に対処しようとする。異常な状況に簡単に順応してしまう優等生、不信感から崩壊してしまう仲良しグループ、システムそのものの破壊を企て失敗する者、などなど。

 「人を信じるのは、ホンマにむずかしい」

 「誰も助けちゃくれない。人生なんてそういうものよね」

 「このゲームを降りる方法は、自殺することや」

 登場人物のセリフをわがことのように感じた者は多いはずだ。「みんな、戦いをやめて」という必死のよびかけが凶悪な暴力に踏みにじられるシーンは象徴的である。

 「今私が高校生活で作り上げているすべての感情や精神は、いつどこで崩れてしまうかもしれないもろいものであると感じました。自分もあの戦いに参加していたなら、生き残るために友達もすべて捨ててしまうと思います」(17歳・高校生)

 こうした意見に示された人間不信の深さには、胸が締め付けられる思いがする。

「テーマは愛」なのか

 さて、物語は最後まで人を信じることを忘れなかった男女二人が「脱出」に成功するという結末を迎える。これが「救い」となって、「テーマは愛だと思った」とか「生きる勇気が湧いた」といった感想を生んでいるのだろう。

 確かに映画は「それでも前に進め」というメッセージを発してはいる。だが、作品世界の根底にあるのは、あくまでも「決して変革できない暴力的な現実」である。武器を持たずに生きられるほど、この世は甘くない。だからせめて、愛する人だけは信じていたい、ということなのだ。

   *  *  *

 逆ギレした大人が子どもに報復しはじめた−−映画版『バトル・ロワイアル』が描くのは、そんな近未来の日本である。BR法の狙いは大人の権威回復。そのために軍隊を使い、子どもたちを「殺し合いゲーム」に連行する。

 バカバカしいと言ってしまえばそれまでなのだが、少年法の改悪や「奉仕活動の義務化」という乱暴な提案が教育の名の下に行われる現実をみていると、BR法の世界が案外身近なように思えてくる。

 多くの子どもたちが『バトル・ロワイアル』にリアリティーを感じている現象は、彼らに人間不信と絶望感を植えつけている大人社会がもたらしたものなのだ。  (O)

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