2001年04月20日発行686号

ロゴ:沖縄戦後史のメロディ 海勢頭 豊
第2回『中野町青年団』〜歌をつくり歴史を残す

『中野町青年団』

コザ事件で焼かれた米軍車両
写真:コザ事件で焼かれた米軍車両

 ドルが強かった時代は、米軍クラブでアルバイトをしていてもいいギャラをもらっていました。しかし、ドルの値打ちが下がってくるにつれ、みんな首になっていき、民間に食いぶちを求めるようになりました。

 大阪で万博が開かれた1970年、私も友人と中の町に「エル・パピリオン」という店をオープンしました(本当はパビリオンでしたが、看板屋が間違えてパピリオンになった)。

 基地経済で栄えた町・コザ(現在の沖縄市)は都会でした。コザと比べると那覇の方が田舎っぽく見えました。そのコザの中心であった中の町には、いろいろな人が集まってきました。白人、黒人、ヤマトンチュー、那覇からは財界人もよく来ました。1968年にアメリカで黒人解放運動の指導者キング牧師が暗殺され、コザの街では白人と黒人の対立が絶えませんでした。また、佐藤・ニクソン会談で72年沖縄返還が合意され、自衛隊員の姿もチラホラ見え始めた頃です。

 そんな中の町の風景そのものを歌にしたのが、「中の町青年団」です。

 1970年12月20日の未明に、中の町で発生した米兵の交通事故処理に端を発して、20余年の米軍支配への鬱憤をはらすかのような民衆による反米暴動事件が起こりました。

 このコザ暴動事件をきっかけに、私は意識が変わり、歌をつくって歴史を残そうと思うようになったのです。

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