解雇撤回・地元JR復帰をめざして闘う国労闘争団に地域から支援が広がっている。北海道・釧路では、四党合意を認めず闘い続ける闘争団員に熱いエールを送る人々が五月の共闘会議結成をめざす。十四年間堅持してきた闘いの原則を捨て去ることはできないとの共通した思いからだ。
釧路闘争団・横田厚さん 「俺の生き方こそ国労の姿」
四月中旬になっても吹きつける風は冷たく肌を刺す。JR釧路駅のコンコースには日中も暖房が入り、春の訪れはまだ先のようだ。しかし、釧路闘争団の横田厚さんは一足早く春を迎えた。
四月十四日、支援者が呼びかけた「JRの不当労働行為は許さない国労闘争団釧路共闘会議」(仮称)の事務所開きが釧路市内で行われた。事務所は六畳二間の広さにカーペット敷き。NTTの仲間から贈られた事務机が二つ並ぶ。「立派な事務所ねぇ」と集まった人々から歓声が起こる。横田さんが実家の裏にある木造平屋建てを一月かけて修理し、改造した。
闘いで国労の旗守る
共闘会議の事務所開き click
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この場に釧路の共闘メンバー四人、帯広闘争団の工藤頼志さんら十二人が集まった。横田さんの不屈の闘志を支えようと馳せ参じた仲間ばかり。
「ここが私の闘う砦、拠点です。闘う闘争団に身を置くことが国労の旗を守ることと信じ、自らの生き方を貫きたい。今まで支援してくれた千葉や東京東部の仲間を裏切れない」。横田さんは語り出した。
解雇されて十四年。釧路闘争団の事務局を担い、警備事業を柱とした有限会社ユーカラの立ち上げ、地域共闘作りに全力を尽くしてきた。「昨年の四党合意発表以降、悶々とした日々が続いた。7・1臨時大会では明確な態度表明ができず、禍根を残した」と振り返る。
四党合意賛成派は「団から出ていけ」と執拗に妨害や嫌がらせを繰り返した。横田さんは「冗談じゃない。俺の生き方こそ国労の姿だ」ときっぱりと語る。四月五日には団から「妨害グループとの関係を解消」するよう求める勧告書が出された。「勧告を拒否する」と横田さんは回答した。
部屋の真ん中で薪ストーブが燃えている。横田さん夫妻を囲んで酒を酌み交わしながら、笑いの絶えない交流は五時間以上に及んだ。
子に正しい道示す
妻の深雪さんは「団でいろんな嫌がらせを受けているのに、いつもにこにこと元気に帰ってきます。自分の信念で行動できるうれしさで生き生きしています」と最近の夫の様子を語る。「闘争団のために一生懸命やってきた夫を排除しようとするやり方は、国鉄を首になった時より悔しい。絶対に許せない。ここまで来た以上、白黒をはっきりさせたい。お金のことだけじゃない。形の見えないものでは納得できない。闘いをやめる人たちの気持ちが分からない」。二人の子どもを大学と高校に通わせ生活の不安を抱えながらも、正しい道を示したいと覚悟は揺るがない。
集まった共闘メンバーが口々に決意を述べ、横田さんを励ます。「二十年以上前からの付き合い。いろんな運動で指導してもらった。何としても一緒に闘い続けたい」「平和運動を共に担ってきた。教組はなかなか動かない厳しい状況だが、最後まで連帯して闘う」「今年退職した。のんびり応援していく」
四党合意で正義は残らぬ
国鉄闘争に連帯する釧路の会事務局長の工藤和美さんは「不当差別と対決する旗を下ろすわけにはいかない。横田さんは今まで国労がやってきたことをやっているだけ。四党合意でどこに正義が残るんだ」と怒りをあらわにする。工藤さんは小さな段ボール会社に勤務。札幌への不当配転に抗議して地労委闘争を闘った経験がある。「JRの不当性に目を閉じることは、国労だけでなく中小組合の問題でもある」と横田さんの闘いへの変わらぬ連帯を表明した。
帯広闘争団の工藤頼志さんは「何も出ていないのに四党合意をのむのは危険。私も含めてこだわってきた十四年間を無駄にしたくない」とエールを送る。
「ここで好きな音楽を聞きながら、五月の共闘会議立ち上げに期待したい。千葉や東部でも集会を開いていただき、運動を広めていきたい」。横田さんの譲らない闘いは始まったばかりだ。