2001年06月08日発行692号

ロゴ:沖縄戦後史のメロディ 海勢頭 豊
第8回『キセンバル』〜平和運動の象徴

『キセンバル』

 軍事基地沖縄の実態は復帰後も変わらぬどころか一段と強化されていきました。1973年には、米軍の実弾砲撃演習が県道104号線を封鎖して行われるようになりました。

喜瀬武原
写真:喜瀬武原

 金武町と恩納村の中間に位置する花卉栽培で有名な美しい村・喜瀬武原(キセンバル)の住民が、唯一の生活道路である県道の封鎖に反対して抗議集会を開いたところから、県道越え実弾演習反対の闘いが始まりました。74年には、演習に怒る人々が着弾地である恩納岳やブート岳に潜入し、のろしを上げて、実際に演習を阻止することに成功しました。これは三年間にわたって続きましたが、76年に潜入した阻止団のうち労働者・学生の計7人が刑事特別法違反で逮捕される事件が起こりました。

 この歌ができたのは77年。那覇市民会館で開かれた刑特法被告を支援する反戦チャリティコンサートの場で発表し、人々の好評を得ました。

 その後、実力阻止闘争はなくなりましたが、この闘いは、沖縄の平和運動を象徴する「キセンバルの闘い」として、この歌とともに全国にも知れ渡るようになったのです。

 私の歌には海のリズムや島をイメージして作ったものが多いのですが、この歌は大陸をイメージして作りました。平和への思いははるか中国や朝鮮半島にも及んでいたのです。

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