現在の新鶴見機関区
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昔の国鉄は機関車乗務員の給料はよかった。俺が入った昭和二十(一九四五)年頃は普通の駅員が三十円。俺も最初は三十円。機関助士になると四十五円で、機関士は五十五円だった。その他に業務手当が五円くらいついたかな。当時、給料のよかった機関士は「女中」さんを使っていたんだから。
俺は勉強しないで機関車乗務員になっちゃったけど、今の人たちは大変だよ。機関助士課に行くのも勉強しないとだめ。機関士課でも勉強できなければ落第で、また勉強。鉄道員の中では最高に勉強するね。そういう点があったから「駅の助役があいさつする前に、こちらからあいさつするな」という変な誇りを持たされたんだろうな。
昭和二十一(一九四六)年六月頃だったか。機関車の振動にも慣れてきて「じゃ、佐久間いよいよ罐(かま)焚けや」と言われた。新鶴見操車場を出て大宮まで走った。初めての時は罐の中に手が吸い込まれるんじゃないかと思ったね。手を罐のそばに持っていくだけで熱くて。それでも蒸気は上がったのかな。だめだと言われた記憶はない。要領がよかったのか、あまり叱られたこともなかった。
ただ一番困ったのは、石炭の燃えかすのアスガラっていうやつ。火室の底は鋳物でできていて、アスガラが下に落ちるように格子状になっている。石炭を燃やすと、火室の中がアスガラでいっぱいになって石炭が燃えにくくなる。しかし、燃えて小さくなった石炭は下に落ちちゃうので、少しはアスガラがないとだめなんだ。その辺のバランスはやっぱり腕だね。
大宮操車場まで走る時、池袋あたりに行くと焚口戸の近くまでアスガラがたまった。池袋がだいたい中間なんだ。五分間くらい停車して、罐変えというのをやる。国鉄ではトイレに行く時、「罐変え行ってくるぞ」と言う。糞することを罐変えって言ったもんだ。言ってみれば、機関車の糞、アスガラを捨てることなんだ。これが大変なんだよ。ロッキングっていう一メートルもある鉄の棒を差し込んで、すごい反動を働かせてアスガラを下に落とす。十五歳くらいの俺らじゃ、持てるもんじゃなかったね。機関助士がいれば二人でやる。火も下に落ちるから、水を流して冷やしながらやった。
石炭が悪いとまた大変。常磐炭は悪い石炭で、三池炭はいい。いい石炭は完全燃焼しちゃってきれいにアスガラになる。悪い石炭だとクリンカーって言って石炭の二分の一か三分の一が固まってしまう。固まると風を通さないから、下には落ちず焚口戸から出す。この作業も大変だった。
(筆者は国労闘争団員)