狂牛病の全容解明も進まないうちに、牛肉の生産地偽装事件が発覚した。事件を引き起こした企業が解散したとしても、食品表示のデタラメさに国民の怒りはおさまらない。問題なのは、業界・官僚のモラル低下ばかりではない。事件の背景には、食品の安全より輸入自由化・規制緩和を推し進めてきた政府・農林水産省の政策がある。
無責任な農水省
「輸入牛肉も国産牛肉」「北海道産が熊本産」。雪印食品による国産牛偽装行為は、二年以上も前から続けられていた。雪印食品以外にも、表示ラベルの張替えや偽装工作が相次いで見つかっている。贈答用品や学校給食にも偽装牛肉が入っていた。
雪印だけではない―そんな国民の不安をよそに農水省は「モラルがあるんですかね。あの会社」と他人事を装い、「原産地表示を偽ったものを食べても害はないでしょう」と居直る始末である。
悪用されたのは、農水省の狂牛病対策・市場隔離牛肉緊急処分事業である。「安全宣言」の根拠として打ち出した買取制度が機能していないにもかかわらず、業者のモラルの問題にすり替える農水省の無責任さは根が深い。
買取制度とは、狂牛病の全頭検査(昨年十月十八日)より前に食肉処理された国産牛肉を全部買い取り、焼却するというもの。検査を受けていない牛肉を市場から排除するには処理された日付と場所がポイントとなる。だが、農水省は食肉処理場の証明書を求めることをやめた。「現実的に困難」とする業界の緩和要求に応え、倉庫会社の発行する在庫証明で可とした。
倉庫に入れた日で何が証明できるのか。「何でもありと同じ」と業者が受け取ったとしても当然だ。制度を支える検査体制もなく、やる気もない農水省は、とにかく目に見える「狂牛病対策」を打ち出しさえすればよかったのだ。
食品表示もごまかし
これで、検査前の牛肉が市場から消えたのであればまだ救われる。
ところが買い取りの窓口となった業界六団体は、組合員からしか買い取らなかった。非組合員の業者が抱える牛肉は放置された。また組合員であっても、買い取り価格より高値の牛肉は市場へと流している。狂牛病の検査済シールさえ勝手に貼られているとの情報もある。
農水省自身、「全頭検査より前に処理した牛肉が流通している可能性は皆無とは言い切れない」(2/5朝日)と買取制度がまったく骨抜きになっている事実を認めている。
そのうえ農水省は食品表示自体にも大きな抜け穴を用意していた。
すべての生鮮食料品に原産地の表示を義務づけた改正JAS(日本農林規格)法が施行されたのは二〇〇〇年七月。その前の三月、農水省告示が出た。”生きたまま輸入した牛は三か月以上国内で飼えば「国産」と扱う”。つまり「輸入牛」も三か月後には合法的に「国産牛肉」と表示できる。まさに外国生まれの「国産牛肉」が市場にはあふれているのだ。原産地表示など何の意味もなさない。
国の責任を放棄
どうしてこうなるのか。背景には、九二年に踏み切った牛肉の輸入自由化政策が横たわっている。自由化は国内の畜産業とともに検査体制まで切り捨てたのだった。
WTO(世界貿易機関)への加盟(九五年)は規制緩和を促進した。食品の安全確保をうたった食品衛生法も「自由貿易の障壁となる」と大幅な改正(九五年)が行われた。それまで曲がりなりにも「結果の通知を受けなければ販売してはならない」としていた輸入食品に対する検査の原則を廃止してしまった。また国内生産品についても、食品製造業者に工程管理をさせるハサップ制度を導入し、行政による管理監督をやめた。
つまり、輸入・国産を問わず食品の安全について国の管理責任をまったく放棄してしまったのである。
「偽装表示に害はない」と語った農水省幹部は「経済活動の規制は抑制的にしないと」と続けた。まさしく食品の安全、消費者の健康より、輸入自由化・規制緩和を推し進める政府の政策を見事に言い表している。
狂牛病の危険を指摘する欧州連合の調査を打ち切らせたり、肉骨粉の危険を知らせるWHO(世界保健機関)報告を黙殺したりしてきた農水省のことだ。食品業界が食品の安全など気にすることもなく、偽造や隠ぺいを行ったとしてもなんの責任も感じないのである。
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農水省は、二月十五日から消費者や企業内部からの告発を促す「表示一一〇番」を始めた。業界の監視を消費者に任そうと言うのであるからあきれてものが言えぬ。たとえどんな告発が寄せられたにせよ、安全不問の輸入自由化推進政策を転換しない限り、第二、第三の偽装事件は必ず引き起こされる。 (T)