2002年04月19日発行735号

【日韓高校生交流の旅 / 分断・植民地支配の一端にふれる / 視野を広げた新たな出会い】

 東京と大阪の高校生・大学生による韓国スタディー・ツアーが三月二十八〜三十一日の日程で行われた。参加したのは高校生七人と大学生二人。短期間ではあったが、植民地支配の一端にふれ、韓国の若者とも交流した。帰国の際、誰もが「もっと長くいたかった。また行きたい」と語った。

ナヌムの家を訪問

 「アンニョンハシムニカ。こんにちは」

 ソウル近郊の仁川国際空港に降り立った一行を、韓国・太平洋戦争被害者補償推進協議会の事務局長である金銀植(キム・ウンシク)さんが笑顔で出迎えた。今回のツアー受け入れに奔走した金さんは「現実の韓国を見て、いろいろと問題意識を持ってもらいたい」と期待を込める。

 翌二十九日、朝鮮半島分断の象徴、JSA(共同警備区域)の板門店に向かう。ここを選んだのは、「韓国の平和を考える時、避けて通れない一つが分断の問題。問題意識を持つ経験を」という金さんの薦めからだ。高校生たちも「何十年もの間、厳しい警戒下にあるというのをテレビで見た。どうなっているのか知りたい」(大阪・本田福蔵さん・高3)と興味を示す。

 途中、全員がパスポートの検査を受け、自動小銃を背にした迷彩服の兵士が乗り込んでくる一幕も。板門店では、常に監視の兵士が付いた。

 参加者の一人で在日の大学生、佐藤秀明さんは板門店に行けなかった。韓国籍の人が板門店を訪ねるには厳しい手続きを経なくてはならない。「どうして行けないんだ。おかしい」とみんなの声。民族を引き裂く分断の意味を身近に感じた。

 三十日には、元「従軍慰安婦」のハルモニ(おばあさん)たちが共同生活を送るナヌムの家を訪問。高校生の中には、「おばあさんたちは日本軍にひどいことをされていた。日本人の私たちに話してくれるだろうか」(大阪・山下和子さん・高3)という不安もあった。

 ナヌムの家では、「私は日本政府とどこまでも闘う。責任者を処罰せよ」と訴えながら亡くなった姜徳景(カン・ドッキョン)さんの追悼ビデオを観たのち、併設の日本軍「慰安婦」歴史館を見学した。パネルやハルモニの絵、日本軍の関与を示す文書の前で、新たに知った事実に驚き食い入るように見る姿があった。

韓国の若者との再会

 駆け足の訪問で、ハルモニにプレゼントを手渡しただけだったが、一人ひとりが強い印象を抱いた。「水曜日のデモが五百回も続けられているが、日本は賠償金を払っていない。韓国の人たちの話を聞こうとしないのは、絶対におかしなことだ」「姜さんは死の寸前まで頑張っていた。その姿が心に残った」と感想を語る。

 この日、高校生たちは、昨年十月の東京での集いに招いた韓国の若者三人と再会した。三人は環境問題や歴史歪曲問題、障害者支援など十二の活動部門をもつ若者の団体「ユース・ウェーブ」のメンバー。その集まりに招待された。

韓国の高校生との交流会
(3月30日・ソウル)
写真:サムルノリを披露する韓国の高校生

 会場いっぱいの約三百人を前に長谷川結実さん(東京・高3)が「アジアの国々のことやアジアと日本の関係を学ぶなどの活動に取り組んでいる」とあいさつすると、来日したチョン・ジェシクさん(高2)が「両者の出会いが両国の発展につながるようにしたい」と日本語で感謝の言葉を語った。寄せられた大きな拍手に、日本の若者は、交流することの大きな意義を感じたようだ。

 夜は、ソウルにある二つの高校の生徒約二十人と合流。四つのグループに分かれ、彼らの案内でソウルの繁華街・南大門周辺で買い物や食事を楽しんだ。「懸命に英語で話しかけてくれ、よかった。また来たら、こんな機会を持ちたい」とみなうれしそうだ。

 交流会も持ち、韓国の高校生は伝統舞踊や伝統音楽サムルノリを披露。一緒になって韓国の集団遊びも楽しみ、片言の日本語や英語で夜遅くまで会話が弾んだ。

勉強し、また行きたい

 案内役そして通訳としてツアーを支えた金さんは「韓日双方の学生が交流を期待していると感じた。このような交流を進めていけば、未来に韓日のいい関係ができると思う」とツアーの手応えを話した。同行した高校生全国交歓会の助言者、一之瀬百樹さんは「国境を越えて若い世代が交流すれば、日本の若者の視野も広がる。戦争や平和の問題なども話し合える交流にしていきたい」と期待する。

 参加者からは「韓国の高校生たちと日韓の問題についても話したかった」「ハングルを勉強し、また行きたい」との感想が寄せられた。韓国や日韓の関係についてもっと知りたい。ツアーを通して若者たちは、そんな思いを膨らませた。

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