私の名前の「実」は、海軍少将の大田実からとった、と母親からよく聞かされた。
生まれ育った浜比嘉島の中で、父親は天皇の軍隊に忠誠を誓うことを島民に指導する役目を担っていた。教育勅語や軍人勅諭を読んで聞かせていたようだ。島民が誰一人ついてこなかったが、旗を振った手前自ら志願を余儀なくされ、熊本連隊に入隊。そして南方のブーゲンビリアで戦死した。
母親にかわって死亡通知を役場に受け取りに行ったのは、私だったが、そのときは悲しいとも思わなかった。
靖国神社を意識するようになったのは、大阪に出てきて自分の子どもが生まれたときだった。沖縄から出てきた母親が、ついでに靖国神社に連れて行ってくれと言ったときからだった。
その頃、曽野綾子らが沖縄戦での集団自決の事実を隠ぺいする動きを始めていた。無知であることは犯罪的なことだと気づき、沖縄の歴史をのぞくようになった。
現在ふたたび沖縄に帰り、沖縄の歴史を刻む百メートルレリーフの製作を開始した。すでに八十メートルほど完成しているが、その中に作品『銃剣とブルドーザー』がある。沖縄が戦前、戦中、戦後、そして今日に至るまで、有事の中を生きてきたことを象徴する作品だ。
基地建設のための土地強奪を米軍は銃剣とブルドーザーで行った。復帰後も全国の七五%の基地が沖縄に押し付けられている。私有財産権も無視して、民間地を軍用地に使っている。地主が返してくれと言っても、契約期限が切れても決して返さない。それはなぜか。沖縄が有事の中にあるから、決して返さないのだ。
有事法制下の靖国の動きの中で、沖縄でも小泉首相の靖国参拝違憲訴訟を開始する。沖縄では初めての裁判になるが、九月三十日に那覇地裁への提訴を予定している。ちょっと遅れたが、全国の靖国違憲訴訟に合流する。