首都カブールに入ったアフガン戦争被害第三次調査団は九月五日から、アメリカのNGO「グローバル・エクスチェンジ」の協力の下に、米軍の空爆による被害者たちと面談。一発の爆弾が一瞬にして十人の民間人の命を奪うなど戦争犯罪の事実をつかんだ。(勝井)
カブールに入った調査団は九月五日、「グローバル・エクスチェンジ」のカブール事務所に向かった。
これには訳があった。
七月二十七日に長野県で開かれた第三十二回平和と民主主義をめざす全国交歓会の開会企画の国際シンポジウム「今、この戦争を止めるために」の壇上に、民衆法廷の提唱者・前田朗東京造形大学教授と「グローバル・エクスチェンジ」のメディア・ベンジャミン共同代表が並んだ。その場で、アフガンでの被害調査の協力が確認されていたからだ。
「グローバル・エクスチェンジ」の スージャさんと交流する 第三次調査団(9月5日・カブール)
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カブールには各国の数多くのNGOが事務所を構えている。そのほとんどが各国大使館が並ぶ官庁街に居を構えっているのに対して、「グローバル・エクスチェンジ」カブール事務所は住宅街の中にあった。
対応してくれたのは、ニルファ・スージャさん。アメリカの市民権をもつアフガン人だ。「あまたあるNGOの中で、戦争被害調査や被害者家族の賠償要求に取り組むNGOは私たち以外ありません」と語る。今年一月に最初の代表団が訪問、四月に事務所を構えて以降、すでに首都を含む十一の州に調査地域を拡大。約九百件の被害者データを蓄積しているという。その中からカブール市内に住む三人の被害者を紹介してもらった。
戦争犯罪示す緑の旗
三人の被害者とも一度も国外に避難したことのない国内難民だった。
サヒーブ・ダードさんは三十八歳のハザラ人。「アメリカが空爆を開始してから二日目ぐらいですから、十月八日か九日のことです。朝の六時にB52爆撃機が飛来して、一発の爆弾を投下しました。それが私の家と隣家を直撃。九歳の娘と一歳の息子が死にました」。
8人の家族を一瞬にして亡くした アリファさんと残された子どもたち (9月5日)
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隣家のアリファさん家族の被害はもっと大きかった。夫のガル・アーマッドさんのほか、もうひとりの妻と六人の子どもの合計八人が犠牲となった。生き残ったアリファさんは語る。「夫はじゅうたん職人としてイランに出かけていました。一年半の出稼ぎを終えて、ここに戻ってきてわずか十日目なのにアメリカの爆撃で亡くなったのです。十四歳の息子も眼に傷を負った後遺症で、いまだに学校にも働きにいくこともできません」。
サヒーブさんは山の斜面に広がる墓地へ私たちを案内してくれた。イスラムの墓は土葬だ。広大の墓地の一画に緑の旗で囲まれた十体の土まんじゅうがある。緑の旗は、戦争のために亡くなった殉教者を意味するという。
二十年前からカブールに住み小売業を営んでいたサヒーブさんは一度も国外に出たことがない。ソ連戦争のときも内戦時代もカブール市内を転々としながらも、家族誰一人の犠牲も出すことなく過ごしてきた。それが突然やってきた米軍機による一発の爆弾で大事な子どもを失ってしまった。二人の子どもの墓の前にたたずむサヒーブさんには虚脱感以外の表情はなかった。
クラスター爆弾の犠牲
クラスター爆弾で重傷を負った イサヌラーくん(9月6日)
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カブール市西部に住むラマトフラーさんは、米軍の空爆が始まって以降、夜は歩いて三十分の郊外に避難、朝になって自宅に戻る生活を続けていた。ある晩、近所に米軍の爆弾が落ちて三人が死んだことを聞いた。翌朝いつものように避難先から自宅に戻り、九歳の息子イサヌラーくんは学校に出かけた。いとこと共に帰校中、いとこがひとつの物体を拾い上げた。それが爆弾だと分かって投げ捨てたところ、爆発。一番近くにいたイサヌラーくんが重傷を負った。昨晩近所に落ちたのはクラスター爆弾だったのだ。いとこが拾ったのは、その子爆弾のひとつだったのである。
米軍による空爆が罪もない民間人を殺傷したことは明らかだ。しかも、その被害は子どもたちに集中している。