ロゴ:生きる 佐久間忠夫 2002年10月11日発行758号

第55回『国鉄総裁陳謝』

長女の七五三。
家族4人で
写真:背広姿の筆者と、和装の妻子

 函館での国労全国大会の次に開かれた東京地本の大会(一九七一年)に、代議員として参加した。帰りの電車の中で、磯崎国鉄総裁が国会でマル生による不当労働行為を陳謝した、という情報が入ってきた。新潟かどこかで当局がやった脱退工作のテープが国会で取り上げられたり、自殺者も出て新聞紙上をにぎわせていた。「私たちのやったことは間違いでした」と磯崎が謝って、みんな喜んだ記憶がある。

 よく言うことだけど、その時俺は「勝った」という意識はなかった。勝ちかけているけど、やられたのを完全にはやり返していない。攻撃をはね飛ばすだけの力はなかった。全員国労に戻したところで元の水準なんだから。相手はこのままいったらまずいと判断して、磯崎に国会で陳謝させ打ち止めにしたかったというのが俺の見方だった。

 相手との力関係はまだまだ。これから弁天橋分会の力を強化し、点から線へ、臨港地区全体に階級的労働運動を広めて、さらに、横浜支部から全国へ、というのが俺の展望だった。そういう観点から、組合づくりはこれからと考えていた。

 周りはそうじゃなかった。騒ぎまくっていたな。弁天橋電車区の職場に帰ったら、動労の若い運転士が自分の親みたいな助役をつかまえて「この野郎」って追及してるわけよ。国労の人間も尻馬に乗ってやろうとしているから、俺はだめだと釘を刺した。仕事のことで言うのは構わないけど、感情的になって助役をいじめるなんてとんでもねえ。その時、動労は盛んに「鉄労解体」なんてビラを出してやってた。

 職場の雰囲気がガラッと変わって当局が萎縮しちゃった。動労は当局のやり方にすべて反発するということで、帽子をかぶらず運転を始めた。国労の若い運転士にも帽子がきらいな奴がいる。暑い時にかぶると禿げになっちゃうとか言ってさ。坂本という威勢のいい奴が「おいらもとりたい」と言ってきた。「だめだ。とるなら大衆討議でみんなで決めてからにしろ。とるという人間が多数になったら職協(電車協議会)に上げて議論し、他の電車区からも同じ意見が上がれば、次の団体交渉で当局に要求する。交渉の中でそう決まったならいい。勝手にしちゃだめだ」と説明した。そういう点は、俺は堅かった。職場で何回も集会をやって話し合った。年配者が多く、発言力を持っているから結局、だめになった。

 鶴見線はしょっちゅう電車がすれ違う。そんな時、帽子をとってる若い奴もいるわけ。運転席の俺の顔を見て、あわてて帽子をかぶる奴もいた。知らんぷりしてれば「この野郎」って後で詰めるけど、かわいいところもあるなって思ったね。

   (国労闘争団員)

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