学校で「愛国心」が刷り込まれる――先日、教育基本法に「愛国心」を盛り込む動きが新聞報道されたが、事態はすでに中央の政策レベルの話ではなくなっている。「心のノート」と称する「国定道徳本」が全国の小・中学生に配布され、それを使った「愛国心」授業が始まっているからだ。いまなぜ「愛国心」教育の強化なのか。
教育基本法見直しの動きをはじめとして、通知表に「愛国心」評価の項目が登場するなど、「愛国心」教育強化の動きが目立ってきた。
教育基本法については、中央教育審議会(文部科学省の諮問機関)が見直しの中間報告案をまとめた。報告案は「新しい時代を切り開くたくましい日本人を育成する」観点から、現行法の全面見直しを提言。新たに「郷土や国を愛する心」や「公共心・道徳心」の育成を教育の基本理念として盛り込むとしている。
文部科学省が7億3千万円 かけて作成した 「心のノート」
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通知表の「愛国心」評価は、福岡市の小学校六十九校が今年度から導入した。「国を愛する心情」や「日本人としての自覚」をABCの三段階で評価する(社会科)というもの。公権力が個人の内面にここまで踏み込んできたのかと思うと、恐ろしくなる。
しかも、これは福岡県だけの突出した事例ではない。日常の授業を使った「愛国心」の刷り込みは、文科省が全国の学校現場に強いていることだ。その最たる例が「心のノート」事業である。
「心のノート」とは、文科省が「道徳教育の充実」をめざして作成した小冊子のこと。A4版オールカラーで、小学低・中・高学年用、中学生用の四種類がある。今年四月、全国の小・中学生全員に配布された(実に千二百万部)。
文科省は「道徳の教科書でも副読本でもない。あくまでも補助的に使う冊子」と説明するが、配布・活用状況をわざわざ調査することから明らかなように、事実上の「国定教科書」とみてよい。
「愛国心」を自己点検
内容はどんなものか。ノートと称するだけあって、道徳の内容ごとに子どもたちが自分の気持ち(自己点検や改善方法)を書き込む形式になっている。たとえば「自由ってなんだろう」(小学五・六年生版)の項目では、「わたしの考える『自分の責任』」欄に、それぞれの思いを書くという寸法だ。
これは巧妙な誘導である。好きなように書いていいと言われても、子どもは「心のノート」から「望ましいモデル」を読み取り、それに自分の意見を合わせていく。そうするうちに特定の価値観に染まっていくという仕掛けだ。つまり一種のマインド・コントロールである。
「自分さがし」から始まる「心のノート」の帰着点は、「我が国を愛し、その発展を願う」(中学生版)国民になること。「愛国心」注入の教本兼自己点検表と言われるゆえんである。
内面の支配が狙い
「自分の国を愛するのは、ごく自然のこと。学校で教えてどこがいけないの」という意見もあるだろう。「心のノート」も、「ふるさとを愛する気持ちをひとまわり広げると、それは日本を愛する気持ちにつながってくる」(中学生版)等、「愛国心」を持つのは人間として「ごく自然なこと」と強調している。
郷土愛から「愛国心」へ誘導 (小学5・6年生版)
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ここには論理の飛躍がある。郷土愛・家族愛と「愛国心」はまったく別物だ。人は国家という抽象的な概念を自然に愛したりはしない。「愛国心」は、個人を内面から支配するために、外部から注入されるイデオロギーなのだ。
したがって、国家権力が求める「愛国心」は批判精神と無縁である。政府・文科省にとって自国の伝統文化や歴史は無条件に誇るべきものであり、批判的にとらえてはならない。「心のノート」が、社会的な問題とのかかわりのなかで自分や社会のあり方を考えるのではなく、ひたすら個人の「心の持ちよう」をクローズアップする構成になっているのはこのためだ。
戦争遂行の道具
以上の観点を踏まえれば、政府・文科省が「国際化の時代」の対応策として「愛国心」教育を強化する理由がみえてくる。
グローバル経済の国際競争に勝ち抜くために、小泉内閣は二つの「改革」を急いでいる。一つは企業の海外権益を支える軍事大国化。もうひとつは大企業の利潤追求の妨げになる諸制約を緩和する「構造改革」路線である。
戦争政策を遂行するには国民の強い支持が不可欠となる。だが、「構造改革」がもたらす生活破壊によって、肝心の国民統合がゆらぎはじめた。そこで国民統合のたがを締め直し、戦争政策に国民を動員していく手段として、「愛国心」による内面の支配が狙われているというわけだ。
端的に言うと、「愛国心」は戦争遂行の道具である。そんなものを子どもたちに刷り込ませてはならない。「心のノート」などいう洗脳本はいらない。 (M)