2003年02月14日発行775号

【「誰も助けにこない」と被害者】

 

寄稿 アフガン戦争被害第4次調査団  宇野大典さん

 「アフガニスタン戦争被害第四次調査団」(団長・前田朗東京造形大学教授)の一員として、先発隊の帰国後の一月十三日までアフガンに滞在した宇野大典(うの・だいすけ)さんに第四次調査(七七二号4面既報)の続報を寄稿してもらった。(写真も宇野さん提供)


 フライトのキャンセルという突然の事態により、先発隊はアメリカ空爆被害者の聞き取り調査を半ばにして一月七日にアフガニスタンを発たざるをえなかった。残った僕らはアメリカのNGO「グローバル・エクスチェンジ」が紹介してくれた最後の一家族に会うため、カブール空港の南に位置するドゥ・サラカ・マイダン・ハワイ地区へ向かった。

補償拒否する米大使館

 土とレンガ造りの粗末な家々、でこぼこの道の中央には汚水が垂れ流された溝、「パイサ、パイサ(お金)」と駆け寄る子どもたち。難民キャンプを思わせるこんな地区に、イスラムディンさん一家は住んでいた。

写真:顔写真

 十六歳のタジク人少年、イスラムディンさんは片足を引きずりながら僕らを迎えてくれた。二〇〇一年十月のある日の午前三時、すぐ近くの空港を狙った米軍の爆撃がそれて隣の民家に直撃、そのあおりを受け彼が寝ていた部屋も全壊した。イスラムディンさんは背中に傷を負い、歩行困難になってしまったのだ。爆撃から数日後にやっと病院へ行くことができたが、治療費が足りずに完治しなかったという。当然働くことはできない。ソ連侵攻時代に父親を亡くした彼の家を支えるのは、母親のサログルさんだ。

 サログルさんは世界食料計画(WFP)で調理師として働く代わりに、WFPから賃貸を無料で家を借りている。しかし彼女も爆撃のため精神的ショックを受け、現在も精神的に不安定な状態だ。家はなんとか再建された。しかし、「誰も私たちを助けに来てくれない」とサログルさんは嘆いた。

 この家族の聞き取り調査をしている最中に、「爆撃を受けたのは私の家だ」と隣人の男性が必死に訴えかけてきた。僕たちは急きょこのタジク人男性、ダディ・クダさん(26歳)の話も聞くことにした。

 一辺二十メートルほどの彼の家の敷地は、そのほとんどを掘り返された穴と瓦礫の山が占めていた。ダディさんの親族ら五家族の家があったというその敷地に一発の爆弾が直撃し、叔母の娘であるビビ・ラキバさん (18歳)が死亡。叔母と甥二人、他に二人の親族ら計五人が負傷した。ダディさんは一番離れた部屋で寝ていたため、けがはなかった。

 現在、負傷した者や他の親族はカブール北部に移り住んでいる。ダディさん一家の部屋のみが、親族らの協力でなんとか再建された。大きな穴は、壁などを作るために掘り返されたのだという。しかし爆撃によってできた当初の穴は、一辺六メートル、深さ四メートルもあったのだそうだ。

 夜はマイナス十度を下回る日もある冬のカブールだが、ガラスを買うことができず窓には薄いビニールが張られていた。

 「国連やアメリカ大使館に補償を求め、二、三回抗議しに行った。しかし補償は全く受けていない」と、ダディさんは繰り返し訴えた。

米軍のクラスター爆弾

 米軍のクラスター爆弾による被害の実態を知ろうと、英国の地雷処理NGO「ヘイロー・トラスト」のオフィスを訪れてみた。突然の訪問にもかかわらず快く対応してくれ、約一時間にわたり地雷やクラスター爆弾について説明をしてくれた。オフィスの外には、新旧様々な武器が陳列されている。

家に爆弾が落ちたダディさん(1月7日・カブール)
写真:顔写真

 「戦争に良いも悪いもない。人が死ぬ時は、どんな武器であろうと関係ない」という当たり前の言葉が印象的だった。

 二日後、カブール北方ショマリ平原のアブドラハム地区に僕らは案内された。クラスター爆弾の被害現場だ。

 ヘイロー・トラストは以前からこの一帯でソ連侵攻時代からの地雷処理を担当していたが、昨年からは米軍によるクラスター爆弾処理担当チームも結成して処理にあたっている。ショマリ平原二百五十万m2で彼らが把握しているクラスター爆弾は、CBU(親爆弾)六十七発、BLU(子爆弾)が二千四百十一発。さらに今後不発弾が見つかる可能性はあり、まだすべての爆弾を把握できていないとのことだ。当然、あと何年でそれらすべてを処理できるのか、彼らも分からない。

 百集落ほどのアブドラハム地区の奥に、米軍が標的としていたタリバン司令官の家があったが、その家はクラスター爆弾の被害を直接受けておらず、隣の民間人のゲストハウスと厨房が破壊された。幸い民間人にけが人はでなかったが、他の地区ではクラスター爆弾により死者六人が出た。この唯一の標的のために、広範囲に被害を及ぼすクラスター爆弾を米軍が使用した理由が分からず、強い憤りを感じた。

罪のない人に被害が

 カブールの街には、数々の国連機関や国際NGOの立派なオフィスや車があふれていた。その一方で、罪のない人々が被った被害に対する補償が行き届いていない現実を目の当たりにした。

 そして、世界の目は早くもイラクや北朝鮮に注がれている。アフガニスタンは再び忘れられようとしているようだ。私たちに今こそ必要とされているのは、アフガニスタンでアメリカが行ったことを直視し、同じ罪を二度と繰り返させないよう訴え続けることだろう。

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