ロゴ:いまイラク現地は ミサイルに狙われる人々 2003年03月28日発行781号

『第4回 / ”話しかけてはダメですか” / 伝えたい 犠牲にされる人々の姿』

 イラク攻撃が焦点となる中で、現地からのルポが一般週刊誌にも掲載されるようになった。だが依然として、ミサイルに狙われる人々の姿は置き去りにされたままだ。現地取材を通じて、報道のあり方を考えてみた。   (T)


「親愛なるフセイン」

 軽快なリズムのチャント(掛け声)が続いている。NASYO(非同盟諸国学生青年機構)が主催した国際会議に集まった海外参加者と地元の大学・高校生・教員など約千人が、国連事務所に向けデモ行進した。

国連事務所へのデモに参加した女子学生(2月18日・バグダッド)
写真:指で前方を指し叫ぶ女子学生の横顔

 「なんて叫んでいるの?」

 高校生か、中学生だろうか。青年にノートを渡した。数行のアラビア文字が綴られた。英語の訳をつけてくれるようもう一度渡した。その時、先生風の人がやってきて、青年たちを追い立てた。集団から遅れていたからだろうか。特に整列して歩いているわけではないのだが。疑問が残った。

 女学生と思われる列に入った。「なんて言ってるんですか」。同じようにノートを渡した。「アラビック?」「イングリッシュ、プリーズ」。今度は英語で書いてもらった。”私たちの親愛なるリーダー、サダム・フセインと共に闘う”と書いてあった。名前と年齢も聞いた。シェルムアリさん、二十七歳の教員だとわかった。次の質問をと思っている所へ、年配の女性が割り込み、ノートを返された。

 バグダッドの街を一人で歩いていると、歩道に土のうが積まれているのが目にとまった。ビルには銀行の文字がある。銃を肩に掛け、黒いベレー帽をかぶった兵士風の男が立っている。「これは何」。銃を構えるジャスチャーをした。「写真をとっていいか?」「OK」。土のうと兵士が入るアングルを狙った。兵士は気をきかしたつもりなのか、画面からはずれた。とりあえず二カット撮った。土のうの横に促した。気恥ずかしそうに近寄ってきた。

 その時、ワイシャツ姿の男が現れた。手には、買い物でもしてきたのかビニール袋をぶら下げている。カメラを構えると「ノー」。兵士風の男と二言三言、言葉を交わしている。こちらに振り向き、追い払うようなジャスチャーをした。兵士は肩をすくめた。

 なぜなのか。偶然現れた男が秘密警察とは思えないが、真相は不明だ。むしろ、私の取材や写真がどう使われるか、彼らにはわからない。「悪用されたらどうする」。そんな会話が交わされたのかもしれない。外国メディアに対するいらだちだろうか。疑心暗鬼。そんな言葉が浮かんだ。

悪のイメージづくり

 帰国後、現地報告の機会が度々あった。テレビや週刊紙で見聞きした情報を元に質問も出る。しかし、現在も続く空爆。劣化ウラン弾による放射線被害。経済制裁による医療低下、生産活動の制約。そして、日々いわれのない恐怖を味わっていることは、あまりに伝えられていない。

銀行の前に詰まれた土嚢(2月18日・バグダッド)
写真:アーケード下の歩道に大人の胸の辺りまで詰まれた土嚢

 日本に伝えられる現地ルポは、米国によってもたらされた人々の苦しみを正面からとらえず、ことごとくフセイン批判へとつなげていく。先にあげた例なら、さしずめ「情報統制するイラク政府」となるに違いない。秘密警察や情報省の役人の介入と断定した記事ができあがることだろう。

 イラクの政治体制を擁護する必要はまったくない。しかし今、悪政フセインのイメージをかき立てるだけの報道は、戦争を合理化する役割をはたす。イラクの政治体制は当然イラク国民の手で作り上げるものである。少なくとも、他国からミサイルを突きつけられた中で正常な国づくりができるはずがない。

 湾岸戦争後、米政府高官は「(テレビは)政策を売り込む主要な道具だった」とジャーナリストを前に謝辞を述べた。油まみれの水鳥を思い出す。メディアは米軍情報をたれ流し、イラク爆撃を正当化した。

 今回もすでに、イラク現地から記者を引き上げる一方で、米軍に従軍記者を送るマスコミも出てきた。銃弾を込める側から一体何を報道しようと言うのであろうか。犠牲にされる人々の視点に立ってこそ、真実が伝えられるはずだ。

 米国の攻撃を止めるために何をすべきか。正義を実現していく姿勢こそ、人々との信頼をつくるベースなのだとあらためて思った。 

(続く)

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