ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2002年04月25日発行785号

『連載を始めるにあたって』

まえだ・あきら 東京造形大学教授。著書に「戦争犯罪論」「ジェノサイド論」など。アフガニスタン国際戦犯民衆法廷実行委員会共同代表。
写真:顔写真

 アフガニスタン攻撃の際に「現代国際法の危機」が語られたが、イラク攻撃から軍事占領が強行されている現在、危機はいっそう深刻になっている。主権国家の平等と、自衛戦争以外の軍事力行使を制限した国際安全保障体制が、まがりなりにも半世紀維持されてきたが、その国連システムを作り出したアメリカとイギリスが無法な暴力によって国際法を破壊している。安全保障だけではない。国際人道法も無視され、国際人権法も無惨に踏みにじられている。

 人権宣言と権力分立の統治システムを基本とする近代法は、少なくともタテマエでは、普遍的な自由と平等の実現のための民主的な法制度として形成され、発展してきた。多くの実在の国家は、近代法を採用しながらも、実際には様々の口実をつけては人権を規制し、民主主義を形骸化してきた。国家に近代法を守らせるのは市民の監視である。日本国憲法99条も憲法尊重擁護義務を定めて、天皇をはじめとする憲法違反の容疑者候補を特定している。「指名手配条項」である。市民の不断の監視ぬきに民主主義は実現できない。

 国際法にも同じことがいえる。国家が国際法をつくり、国連を作り出してきた。しかし、国家が国際法を率先して守るわけではない。国際政治の力学の中で個別国家はしばしば国際法をすり抜けて自己の利益を追求してきた。それを縛るために国際法を徐々に発展させてきたが、まだまだ不完全な法システムだ。それでも国際平和、人道、人権に関する基本的なルールは形成されてきた。その実現も、市民の監視ぬきには不可能である。それが今日ではNGOの監視や平和構築への参加として追求されている。

 アフガニスタン国際戦犯民衆法廷は、国家が国際法を守らない時代に、市民が自分たちの手で国際法を実現するためのフィールドである。ブッシュやブレアをアフガニスタンやイラクへの侵略と戦争犯罪について国際法に基づいて裁くことで、平和と連帯の国際法を作り出さなければ、無法と恣意が横行する野蛮な国際社会に転落するのは必至である。

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