2003年04月25日発行785号

【アフガン第五次調査 (4) 同じ指揮官がアフガン・イラク攻撃 一方的なぶり殺しの空爆】

 国際法違反のイラク攻撃はアフガニスタン攻撃と連動して展開されたものだ。米英軍の攻撃が、全く一方的な”なぶり殺し”戦争であることもアフガンと同じである。アフガンでの戦争犯罪追及の取り組みは、イラクでの戦争犯罪をも暴くことになる。(K)


 イラク攻撃を指揮する米中央軍のトミー・フランクス司令官は、「民間人被害は計画の範囲内」と公言した。実は、このフランクス司令官はアフガン攻撃のときも米中央軍司令官の任にあった人物だ。

 アフガン攻撃とイラク攻撃は、同じ戦争屋ブッシュの下に同じ指揮官によって行われた戦争犯罪なのだ。

突然襲いかかる空爆

両足を切断したカイール・モハマドさん
写真:腰掛けるモハマドさん。両足は義足だ

 クンドゥズ州で十一人の被害者から聞き取り調査を終えた「アフガン戦争被害第五次調査団」は三月四日、マザリシャリフ市に入った。

 「聖なる墓」という意味のマザリシャリフは、有名なブルー・モスクを中心に発展したアフガン北部を代表する都市だ。

 米軍の空爆による被害者はそんなマザリシャリフの市街地に住んでいた。

 カイール・モハマドさん(30歳)は、小さなお店で大工仕事をしていた。座ったままの作業で気がつかなかったが、両足がない。

 二〇〇一年十一月十一日、店の前の路上に立っていたカイールさんを空から一発の爆弾が襲った。まわりに人はいなかったという。直撃はまぬかれたが、両足を負傷。両膝の上からの切断を余儀なくなれ、義足と車いすの生活になってしまった。

息子が殺されたワリ・モハマドさん
写真:老人の顔写真

 近くにもう一人の被害者ワリ・モハマドさん(65歳)が住んでいた。息子が殺された。

 アリ・モハマドくん(15歳)は市場に向かって歩いていた。そのとき市場周辺が空爆され、多数の死傷者がでた。その爆撃の小さな破片がアリくんに向かって飛んできて、のどを貫通。アリくんは即死した。

 二人が語るところによると、タリバンとの前線は約一キロ離れた場所だったという。しかも、その前線は、弱体化したタリバン兵に対して普通の市民が銃をもって戦いに参加するほど、優勢だったという。

 米軍の空からの爆撃は地上の状況などおかまいなしに、敵と味方の区別も関係なく、普通の市民を殺傷したのである。

長男の死に夫もショック死

 三人目の被害者ローナさん(55歳)は路地裏に住んでいた。

家族の惨状を訴えるローナさん
写真:ブルカ姿で身振り手振りで語るローナさん

 ブルカに身を包んだまま語り出したローナさんの家族の被害は、あまりにも悲惨なものだった。

 二十二歳の長男ムニールさんはトラックの運転手だった。アフガン人の朝は早く、早朝の四時に仕事に出かける人たちなど三十人以上の乗客をのせて、ムニールさんは車を走らせていた。その車に直撃弾が落ちた。ムニールさんはもちろん乗客の全員が死亡した。

 悲劇はこれにとどまらない。息子の死の知らせに現場にかけつけた夫のシャド・モハマドさん(60歳)も、あまりの惨状に心臓発作で死んでしまったのだ。

 ブルカ越しに涙も見せながらローナさんは現在の生活の苦労を訴える。残された家族は二十歳の長女を筆頭に八人だ。夫と長男という二人の働き手を奪われ、女性と子どもだけになった家族が生活を維持することは、アフガンでは困難だ。

 ローナさんは二階建ての母屋を借家にすることを決めた。思い出多い部屋を他人に明け渡し、家族八人はかつて納屋だった小屋で暮らし始めた。賃貸料だけが収入源だ。

 アフガニスタンではイラクと違って、地上戦が行われたのはクンドゥズとカンダハルの一部だけ。あとはすべて空からの一方的な爆撃だけだった。

 自らは絶対に撃ち落されることのない爆撃機から落とされる爆弾は、軍人と民間人の区別をしない。被害者側から見ると、予期することも心の準備をすることもできずに、突然やってくるのが空爆だ。

 アフガンでのなぶり殺しは、この空爆に象徴される。ジュネーブ条約違反の空爆そのものの戦争犯罪を告発していかなければならない。

         (続く)

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