2003年05月16日発行788号

【アフガン戦争被害第6次調査<上> 裁かれたことのないアフガンの戦争犯罪 公聴会は中止でも、デモや記者会見でアピール】

 「アフガニスタン国際戦犯民衆法廷(ICTA)」実行委員会は、イスラマバードでの公聴会開催を兼ねたアフガン戦争被害第六次調査団(前田朗団長をはじめ十四名)を四月二十五日から五月一日まで、パキスタンに派遣した。(勝井)


ペシャワール・プレスクラブでの記者会見(4月30日)
写真:正面にかかげたICTAの旗を背に記者会見に臨む調査団

 四月三十日にイスラマバードで開催する予定だった「第七回公聴会」は中止を余儀なくされた。

 証言者も到着し、会場の設営も終えて準備万端だったのに、前日になってパキスタン軍の統合情報部(ISI)から開催を認めないと連絡があったためだ。ISIはアメリカのCIA(中央情報局)とも連携している情報機関だ。ブッシュのアフガン攻撃が戦争犯罪であると宣言する公聴会開催を嫌悪するCIAやパキスタン政府当局の意向が働いたものと思われる。

 しかし、政府の意向と一般の民衆の反応は全く違っていた。

RAWAのデモに合流する調査団メンバー(4月28日)
写真:「NO WAR」の横断幕を掲げデモに参加する調査団

 四月二十八日にRAWA(アフガニスタン女性革命協会)が主催するデモに、調査団一行も参加した。ICTAの旗や「ブッシュを裁こう」と書いた横断幕、「占領反対」を呼びかけるプラカードなどは、約三百人のデモ参加者の注目を集めた。

 さらに、三十日に公聴会中止に関する記者会見をペシャワールで開いたところ、四十人をこえるマスコミ関係者が参加。翌日のパキスタンの全国紙や地方紙に、「ブッシュの戦争犯罪」を明示する記事が大きく掲載された。

20年以上の戦争犯罪

 第六次調査として、四月三十日に三人のアフガン女性から聞き取りを行った。いずれも公聴会で証言する予定の人たちだった。

生死不明の息子の写真を見せるビビ・グルさん
写真:めがねをかけた老人。しわだらけの左手に握り締めるのは四人の息子の色あせた白黒写真。

 ビビ・グルさん(68歳)は内戦時代の戦争犯罪を語った。

 十六年ほど前(一九八七年頃)、グルさん家族はカブールから北方のショマリ平原に住んでいた。当時はソ連の占領時代で、ムジャヒディン(聖戦士)がソ連との戦いを展開していた。

 グルさんの七人の息子は、そのムジャヒディンの一人、グルブディン・ヘクマティアル派によって誘拐され、ソ連との戦闘に参加させられた。パキスタンの刑務所に連れて行かれて、監獄に少なくとも四十日間入れられていたことは分かっているが、その後の消息は分かっていない。生きているのか、死んでしまったのかすら分からないのだ。

 息子たちの写真を手にしながら、グルさんは「パキスタン当局に消息を問い合わせても、相手にしてもらえなかった。ヘクマティアルが行った犯罪について、裁判を受けさせて償いをさせたい」と訴えた。

 カブールからやってきたパービーンさん(40歳)は、タリバンの犯罪を告発した。

 「タリバンが村にやってきて、家を燃やし、木を切り、井戸にも手榴弾を投げ入れた。村を追い出され、カブールまで歩かされた。私の足は生まれつき悪くて、カブールまで歩くのはとてもつらかった。生きるために歩かなければならなかった。その後はバスに乗せられたが、私は途中でバスから飛び降りて、生きながらえた。砂漠に連れて行かれ、放り出された人もいたらしい」と静かに語った。

 最後もカブールから来たアリファさん(33歳)。アリファさんは、昨年九月の第三次調査のときに初めて出会った人だ。米軍による空爆で夫をはじめ八人の家族が殺された。

 アリファさんは「タリバンを追い出しても、以前と変わっていない。内戦時代の犯罪者がいまだに現政権の中にいるからだ。いろいろな人が私の話を聞きに来たが、いまだにアメリカの犯罪は裁かれていない」と怒りと苛立ちの声を上げた。

 三人の被害者証言は、アフガンでの戦争犯罪は二十年以上にわたって蓄積され続け、いまだに裁かれていないことを明らかにしたのだ。(続く)

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