ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2003年05月30日発行790号

第5回『二つの国際人権規約』

 1948年の世界人権宣言は、国際法の世界において個人の人権がもっとも重要な価値であることを宣言し、人権尊重を国連加盟各国と国際社会の課題として掲げた画期的な文書であった。

 しかし、「宣言(declaration)」は宣言に過ぎない。世界人権宣言は国連総会で採択されたが、そこには遵守義務も人権保護のための手続きも人権侵害の監視機関も存在しない。世界人権宣言は崇高な目標を掲げたが、目標達成のためのロードマップは白紙のままだった。

 そこで国際社会は、宣言から一歩踏み出して、拘束力のある人権条約(convention)をつくることにした。その結果作成されたのが、1966年12月16日に国連総会で採択された二つの国際人権規約である。規約(covenant)は、条約と同じで、各国の署名や批准の対象となり、批准した国家には条約遵守義務が生じる。具体的には国内の人権状況に関する報告書を提出して規約の人権委員会における審査を受けることである。その審査を通じて各国の人権状況を改善することが狙いである。

 国際人権規約を起草した国連人権委員会では、当初は一つの人権規約をつくる予定だった。そして、西欧諸国がリードして作成した草案は、精神的自由や政治的自由が基本的な柱となっていた。これに対して、主に第三世界の各国から、むしろ経済的自由や社会的自由を重視するべきだという提案がなされた。精神的自由を保障する以前に、経済的権利を保障しなければ、人々の暮らしが成り立たない。調整・検討の結果として、二つの人権規約が作成された。

 その第1が、「経済的社会的文化的権利に関する国際規約(ICESCR)」である。以下では「社会権規約」と略称する。日本では時に「国際人権規約A規約」とも称されるが、これは日本だけの呼び方である。

 その第2が、「市民的政治的権利に関する国際規約(ICCPR)」である。以下では「自由権規約」と略称する。日本では時に「国際人権規約B規約」とも称される。

 社会権規約は35カ国の批准をまって効力を生じることとされ、1976年1月3日に発効した。なお、日本政府が批准して、日本について効力を生じることになったのは、1979年9月21日である。

 自由権規約も35カ国の批准をまって効力を生じるとされ、1976年3月23日に発効した。日本についての効力は社会権規約と同じ1979年9月21日に生じることになった。

 世界人権宣言が掲げた理念を、国際人権規約は具体的に実現することを目指した。そのための手続き規定が「実施措置」として整備された。社会権規約の場合は、報告提出義務、一般的勧告に関する意見の提出、国際的措置としての地域会議や国際会議の開催などが定められた。後に経済社会理事会の決議によって社会権委員会が設置された。自由権規約の場合は、締約国に報告書提出を義務づけ、その報告書の審査の為に自由権委員会が設置された。社会権委員会や自由権委員会は各国政府の報告書の審査を継続している。

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