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  首都バグダッドをはじめ、イラクの主要都市に攻撃を仕掛けた米英軍は、数千人に及ぶ民衆を殺戮した。激しい空爆の間、人々はどんな思いでいたのだろうか。今年二月バグダッドのサダム・シティーを訪問した時、家に招き入れ茶を出してくれた家族は無事だったろうか。再訪してみた。(豊田 護) 
 
家族全員と再会
 「ファイール」 
 門の扉越しに大声で呼んだ。家の中から反応がない。あたりに爆撃のあとはない。仕事に出かけているのだろうか。 
	
		
				
				避難して全員が無事だったフアシーア・ファイールさん家族(バグダッド)
				
					
					 
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 バグダッドの中心地から車で十分ぐらいのところにサダム・シティーはある。サダム・フセインが大統領に就任後、劣悪な生活環境の改善事業実施とあわせ、それまでのサウラ地区から呼び名を変えた。いまはシーア派の歴史的指導者の名をとり、サドル・シティーと呼ばれている。サダム時代には冷遇され、貧民街と言われてきた。米軍のバグダッド侵攻に合わせ反サダムの暴動が起こったと聞いた。イラクに侵入していたCIA(米中央情報局)の仕掛けだとの情報もあった。 
 あきらめかけたとき、姿が見えた。木曜日の午後三時。週末の昼下がり、休息の時間だった。 
 「よく来てくれた」と大歓迎にあった。少し遅れて家主のフアシーア・ファイールさん(34)が奥から出てきた。 
 「家族の写真を届けてくれると約束をしたのに、まったく音沙汰がないので家族は疑っていた。だが、俺だけは信じていたよ。あの日本人は絶対約束は守るとね」 
 ひげ面の頬をすり合わせる歓迎の挨拶を受けた。家族全員が集まって、にぎやかな会話が始まった。二月には出会わなかった兄弟や子どもたちもいた。 
 「戦闘の間、どうしてた。被害はなかったか」と聞いた。 
 「郊外に避難していた。戦闘後戻ってきたので、ここらあたりの状況はよくわからない。被害?大おばあさんのひざが悪くなったことかな。薬がないのが困ったことさ」 
 拍子抜けするほどあっさりと答えが返ってきた。話題はこちらに集中した。「両親は健在か。歳はいくつだ。嫁はいるのか。子どもの名まえは。いつでも、来てくれ」 
占領軍が復興の妨害
 やっとこちらから質問ができる。「この地域は、外国人にとって危ないと聞いているがどうか」 
 「それは誤解だ。例えば、こんな話がある」。聞かされた話は、外人女性が肌を露出した服装で歩いていたのを、イスラムの慣習に反するので何人かの男たちが取り囲んで注意をしたというものだった。それが脅威にうつったのだろうと言う。 
 反サダム暴動はどうか。 
	
		
				
				避難できずに被害を受けた家族。天井の穴は、空爆によってできたもの(ナシリア)
				
					
					 
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 「うちの子どもたちも、米軍が来たときは通りで、『イエス・ブッシュ、ノー・サダム』とやったさ。サダムは日本に逃げてないか」 
 通訳を介して聞かされる答えは、冗談とも本気ともとれる陽気な会話の一断面だった。 
 「あなた方の一番必要としているもの、希望は何か」 
 「安心と安全だ。米軍に聞いてみた。安全な水はいつくるんだと。彼らはいつも『すぐだ、すぐだ』と言うだけさ」 
 この家族は、比較的恵まれている方だろう。隣の地区に出している喫茶店も順調のようだ。空爆中、家を離れられない人々はその恐怖に耐えるしかなかった。子どもたちに不安を与えないように、いつも以上に明るく時を過ごしたと聞いたこともある。 
 たとえ反サダムといわれる地域であったとしても、米軍を解放軍と見るものはいない。生活環境の悪化・イラク人による復興への妨害が、占領軍に対する怒りを増幅している。まして反米英レジスタンスに対する強圧的な捜査・殺戮は一層その怒りをかき立てている。 
 戦後復興した日本からのアドバイスはないかと聞かれた。朝鮮戦争やベトナム戦争をバネにしてきた日本の戦後経済を振り返るとき、答えに窮した。ただ、軍隊を送ろうとする日本政府の姿勢はイラク民衆が望んでいる答えでは決してないことは確かだ。(続) 
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