2003年08月01日発行799号

【アラブイスラーム文化協会代表 ジャミーラ高橋千代さんに聞く いまイラクの人びとは ”米軍は出ていってほしい”】

 米英占領軍の支配の下でイラクはどんな状況になっているのか。イラクの人々の支援に取り組むジャミーラ・高橋千代さん(アラブイスラーム文化協会代表)は、六月上旬から七月上旬まで現地を訪問した。イラクの実情について聞いた(まとめは編集部)。


不足の医薬品と粉ミルクを現地へ

 昨年十二月と今年二月に国際市民調査団を作り、始まる前に戦争を止めようと、人間の盾で頑張ったですよね。

写真:顔写真

 今回は戦争の傷跡を回り、調査するために十人で訪れました。四月中旬に募金を呼びかけ八百万円くらい集まった。募金した人の気持ちを生かし、早く届けようと出かけました。

 六月十日、ヨルダンのアンマンで医薬品を購入。二十四種類の抗生物質七十三カートンと薬用粉ミルク二十五カートンです。支援して価値あるものをと思い、募金はすべて薬にしました。十二日にバスをチャーターしイラクへ。すぐにバグダッドや近郊の病院などを調査しましたが、不足していない。フランスなど海外のNGOやイスラムのモスクが薬を提供していました。

 そこで医薬品を三分の一ずつに分け、ファルージャ総合病院とラマディ産科病院、人間の盾で世話になったドーラ浄水場の最寄りの診療所に配りました。

 激しい攻撃が行われたファルージャでは唯一の総合病院ですが、外科医は「国もNGOもほとんど来ない。薬はどこからも入ってこない」。薬を入れる冷蔵庫は空っぽでしたね。病院周辺の人たちは「日本人は米軍と同じ。食料の補給や運搬はわれわれの仕事だ。仕事を奪うな」と言っています。ラマディは大きな病院なのに、薬などが不足しベッド数が少ない。粉ミルクはここに届けました。医者は「米軍は出ていってほしい」と話していました。

子どもに飴を配る米兵
写真:手元のビニール袋から女性に飴を手渡す米兵。女性の子と思われる子どもが見つめている。飴を路上にばら撒く米兵もいる。

 イラクの社会は変わったと思いました。食料は六か月分の配給があると言われているが、貧しい人のところにはない。政府がなくなって失業した人も多い。学校の先生もボランティアでやってる。ホームレスも戦前とは違って見えましたね。石油は米軍の駐留費用に使われ、生活再建には役立っていません。

 あるイラク人は「三か月は米軍を放っておく。ある時に一斉に反抗して立ち上がる」と言っていました。どこに行っても「アメリカにいてほしい」と言う人はいない。国をめちゃくちゃにした「アメリカは出て行け」という思いが強いんです。摂氏五十度の中、米兵は鉄かぶとをかぶっている、大変だよね。アラブの革命はいつも暑い時ですからね。

湾岸戦争超える被害の調査を

 今回の戦争で日本はアメリカに付いた。日本は参戦したんです。でも、イラクの一般の人はあまり知らない。日本はいいイメージばかり、トヨタの車もいい車だと。しかし、自衛隊が制服を着て米軍に付いて動けば、アメリカの兵隊と同じで狙われます。

 日本の外務省は何も知らない。自衛隊がどこに行っていいか分からないから、実際は米軍に付いて動くしかないんです。米司令官でさえ安全地帯はどこもないと言っているのに。自衛隊は給水や運搬にあたると言うが、「自分たちの仕事を奪うな」というのがイラク人の気持ち。とにかく仕事がないんだから。自衛隊派兵に反対です。

 自衛隊が行くなら、その向こうを張って市民隊を作り、イラク市民のニーズに応える活動をやります。クラスター弾を取り除くのも一つ、壊れた住宅を直すのを手伝うのだって喜ばれます。湾岸戦争以降の十二年間の経済制裁で生活はめちゃくちゃ。さらに今回の戦争ですから。あんなに痛めつけていいのかと思います。戦後の人間の盾が必要です。でないとイラクがパレスチナ化してしまう。

 劣化ウラン弾の被害は湾岸戦争の時よりもっとひどい。南部だけでなくいろんなところに落とした。私も支援活動で体をおかしくしましたが、まず、そうした被害を調査することが重要です。

 とにかく日本政府は十二年間、イラクに行かなかった。何の手助けもしなかった。アメリカが侵略して「平和になった」からと出かけて行く。本当にイラクと付き合う気があるのかと言いたいですよ。

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