2003年08月01日発行799号 ロゴ:占領下のイラクを行く イラク戦争被害調査 豊田 護

第8回 真実を消したマスコミ

イラクの子ども
写真:地面に座り込み凛として何かを見つめるイラクの幼児。着ているものは粗末だが、瞳は輝いている。

 米英軍のイラク攻撃について、マスコミ各社は多くの時間と紙面を割いて報じた。だが、大手マスコミは従軍記者を送り、殺す側から書いた。はたして、戦争の真実は伝えられただろうか。フォトジャーナリスト・広河隆一さんをリーダーとするイラク戦争被害調査チームの一員として、破壊現場を見、犠牲者遺族の声を聞いた者として、多くの疑問が残る。

(豊田 護)


 「命を掛けた従軍取材 / その興奮と恐怖『イラク戦争従軍記』本日出版」。戦争被害調査から帰国した六月一日、新聞広告を見た。朝日新聞の従軍記者が、前線から報じた自らの記事に加筆・修正したものだ。

 読んでみて驚いた。戦争犯罪に対する怒りも犠牲者・遺族に対する共感もまったく感じられない。「米国にもイラクにも問題がある、ということまでしか私には言えない」と書かれた記事に読者の好意的反響があったから「社業」として緊急出版したという。”どっちもどっち”式の朝日新聞の戦争報道を象徴するものに相違ない。

米兵と一心同体

 朝日記者が体験した「戦場」は、バグダッドから南約四百キロにあるナシリヤ付近での二日か三日の戦闘行為であった。

 「(三月)二十八日の朝、一台の白い軽トラックが停止線を越えて走り込んできた」「運転席のフロントガラスに向け、停止線の奥で構えていた機銃が連射された」「中をのぞくと運転手は息絶えていた」「警察がやれば過剰防衛でも、戦場ではどの兵士でも同じように行動する。戦場と日常は違うルールであることを痛感させられた」

 朝日記者は、従軍した米軍を終始「私の部隊」と表現している。「日常と違うルール」を認める感性は、向かう者すべてを撃ち殺す米兵と一心同体と言うにふさわしい。

 殺害されたイラク人は、知人の遺体を引き取りに来ただけだったことがわかった。

 「こうした事実上の『誤認』で射殺され、補償も謝罪も受けられないイラク人は少なくない数にのぼるはずである。戦時中だから目をつぶっていいとは思えない。しかし、米軍は明らかに目をつぶっていた」

 目をつぶったのは朝日新聞そのものではなかったのか。

殺される側に立たねば

 ナシリヤで、戦争被害調査チームが聞き取った例には、民間人が攻撃されたものが数多くあった。

 三月二十五日、自家用車に一家を乗せて街を出ようとしたダッハムさんは、米兵の検問所で機銃掃射を受けた。四人の子どもすべてが殺され、ダッハムさんは右足を切断、奥さんもベッドの上だ。

爆撃で5人の子どもを失ったカリールさん
写真:カリールさんの顔写真。豊かなあごひげに白髪が混じった中年男性。

 三月二十六日、バスで避難しようとしていたアハメッドさんは、米軍の攻撃で五人が殺され、二人が負傷した。乗り合わせた他の家族も全滅に近い。

 三月三十一日、貨物トラックで三家族が避難していたところを攻撃ヘリから爆撃された。カリールさんの五人の子どもを含め十四人が殺された。逃げだした子どもたちを地上兵が機銃掃射した。それは、従軍記者が「私の部隊」と呼ぶ歩兵部隊だったかもしれない。

 朝日新聞外報部長が「死と隣り合わせの従軍記者派遣」の言い訳を書いている。「現場に行く機会があれば、そこに行くことが取材の原点だ。ましてや、戦争は人間の最大の愚行であり、悲劇であるだけになおさらだ」

 朝日新聞はこの「現場」からの従軍記事で、イラク攻撃の「愚行」を伝えた気になっているのだろうか。

 目の前に起きた事実をただただ書き連ねたことに読者の共感が得られたとするならば、大きな間違いだ。侵略者と侵略される側との間に「中立」があるはずがない。殺される側に立って初めて、「愚行」いや蛮行を明らかにすることができる。

 各地で行った報告会で多くの共感を得た。戦争を起こさせない決意を、自衛隊派兵反対の声を、もっともっと広げたい。      (終)

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