2003年10月31日発行811号

占領下のイラク 今も続く戦争犯罪(5)

【横行する占領軍による拉致・拘束 / 「息子は今も帰ってこない」】

 一般市民を次々と虐殺している占領軍は、さらに多くの人々を不当にも逮捕・勾留している。その数二万人を超えるという。理由も告げられず連行され、どこに拘留されているのか家族にさえも知らされない。七月半ばに拘束されたオマル・アブドル・マグリフくん(17)は、いまだに帰っていない。家族を訪ねた。(豊田 護)


「誤報」で不当拘束

「自衛隊を送らないで」と語るラスキさん(9月21日・バクダッド)
イラクの人々はこれ以上の被害を望まない。自衛隊が来ることも望まない。

 「その日、オマルはいつものように試験勉強を遅くまでしていた。みなが寝静まった頃、ヘリが二機やってきた。家の上、十メートルぐらいのところから、ロープを伝って米兵が三人、家に侵入してきた」

 バグダッド東部、レサラ広場近くの住宅街から、高校三年生のオマルくんが連行されたのは七月十一日、午前三時から四時にかけてのことだった。当時の様子を長兄のアリさん(30)が話してくれた。

 米軍車両数台が家を取り囲み、米兵十数人が乱入した。父親アベドさん(54)、次兄アハマッドさん(28)、アリさん、オマルくんの四人の男たちが素っ裸にされ、道端に放り出された。米兵はすべての部屋を荒らし回った。三日前に買った護身用の銃、パスポート・身分証明書や金・権利書を米軍に奪われた。

 「オマルは誰だ」と米兵は聞いてきた。オマルはビンラディンの一味で米兵を殺した。さらに武器密輸に関わっているという。「そんな赤ん坊のような若造ではない。違ったのかな」と米兵は言った。”誤報”による捜索だったようだ。「試験勉強に必死の息子が武器商人とつき合っている暇などあるはずがない」と訴える母親のラスキさん(50)は報奨金目当ての密告ではないかと疑っている。

食事抜きの尋問

 頭から袋をかぶせられ、連行された四人は、水も食事も与えられないまま尋問を受けた。「米兵はスンニ派かシーア派かと聞いてくる。スンニは敵、シーアは味方と思いこんでいる。われわれはシーアでもスンニでもない。ムスリムだ」と厳しい表情でアリさんは言う。

米軍に連行されたオマルくんの身分証明証
イラクでは多くの人々が米軍に連行されている。写真のオマルくんもその一人となった。

 糖尿病を患っていた父親が尋問中に倒れ、入院した。二人の兄も釈放されたが、オマルくんは拘留されたままだ。母親は、米軍関係施設や赤十字などの病院を訪ね歩いたが、収容されている場所はわからない。「姉妹も泣いている。父親の死に目にもあえないかもしれない。家族はお互いを必要としている。七十三日間も家族に会えないなんてひどい話だ」と母親は嘆く。

軍隊はもう不要

 六月末から二か月間拘留されていた、近所に住むハミド・フセイン・ファヤドさん(53)が拘留先での様子を話してくれた。タクシー運転手のハミドさんは、サダム宮殿前で米軍の検問にあった。

 「理由もわからないまま、銃床でなぐられサダム宮殿に連行された。翌日、バグダッド空港に作られたテントに移され一週間。さらに、南部の町ウムカスルにあるブーケ収容所に送られ、ナシリアそしてまた空港に戻され、解放された」

 二十五人用のテントに三十五人が押し込まれた。サソリや蛇が入ってくる。通訳はこちらの言い分をわずか二分間しか伝えない。待遇改善のデモまでしたという。「米軍はイラク人を恐れさせようとしているとしか思えない」とハミドさんは首を振った。

 アリさんは「イラク人は平和的な国民だ。自分たちの国は自分たちの手で治めることができる。サダムが悪いことをしてきたのも確かだが、米軍はそれ以上に悪い。電気も仕事もない。その上、私たちを苦しめている」と憤る。

 「空をご覧なさい。子どもたちはヘリの音に恐怖を感じている。米軍はイラクを解放したという。やっていることは正反対だ。日本の人にぜひ伝えてほしい。これ以上軍隊は送らないでほしい」。母親の言葉が重い。  (続く)

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