ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2003年11月07日発行812号

第26回『アンリ・デュナンと赤十字(3)』

 赤十字創設がデュナンによるものだと言うと、「ナイチンゲールではないか?」という疑問が出てくるので補足しておく必要がある。

 戦場における傷病者の救護という意味では、ナイチンゲールはまさに赤十字の先駆者である。クリミア戦争において38名の看護婦を率いてイギリス軍に従軍したナイチンゲールの活躍は知られるとおりである。近代的医学や衛生学にもとづいた彼女たちの奮闘によってイギリス軍の死亡率は激減したという。

 デュナンもナイチンゲールのことは知っていたし、敬意を抱いていたから、『ソルフェリーノの思い出』においてもナイチンゲールの活動を称賛している。従って、ナイチンゲールの存在がデュナンの着想に一定の影響を与えているので、ナイチンゲールも赤十字の歴史にとって非常に重要である。

 ただ、ナイチンゲールはデュナンの提案を支持はしなかった。彼女は、戦場における軍の傷病者救護はまずもって国家の責任と考えていたため、国家が自国兵に対する責務を果たすべきであり、民間団体が傷病者救護に乗り出すことは国家の責任分野に介入することになる。

 クリミア戦争におけるナイチンゲールの活動は、イギリス軍に従軍して、後方の野戦病院に運ばれてきたイギリス軍兵士を救護することであった。

 これに対して、デュナンの着想は、敵味方の区別なく、すべての傷病者を救護するというものであった。ソルフェリーノの戦場で倒れる兵士たちを目撃し、救護活動を行ったデュナンにとって、救護対象は味方の兵士だけではなく、救える命をすべて救うことに向けられた。

 戦場における傷病者救護という点では、デュナンの着想はナイチンゲールに由来するが、敵味方の区別なく救護するという点では、むしろソルフェリーノの現実に由来した。

 戦場に近いカスティリオーネに負傷者が続々と運ばれてくると、病院だけではとても足りず、教会その他の大きな建物が臨時病院として利用された。テントや仮小屋も使っての救護が続けられた。医師や看護婦の数は到底足りないため、カスティリオーネの女性たちや子どもたちが素人看護士として救護活動を行った。この素人看護士たちが、負傷者を国家によって区別せず、同様の親切さをもって救護したという。

 ある医師が医薬品はイタリア兵のために取っておこうと言ったが、「みんな兄弟です」と言って、敵軍であるオーストリア兵をも分け隔てなく救護したカスティリオーネの人々を、デュナンは感動と敬意をもって描いている。むろん実際には味方を救護することのほうが圧倒的に多かったであろうが、傷病者は敵味方を区別せずに救護するという思想の萌芽がここに見られる。

 デュナンは、もしソルフェリーノに十分な医師と看護士がいたなら死なずに済んだ戦死者のことを思い、国際団体を組織して、事前に組織された十分なスタッフを用意することを考えたのである。

 敵味方の区別なく救護するのが望ましいという点ではナイチンゲールも同様に考えたであろうが、実際にはナイチンゲールは赤十字の設立に賛意を示さなかった。従って、ナイチンゲールが赤十字を設立したというのは誤解である。

 このように言うことはナイチンゲールが果たした歴史的役割を否定することではない。ナイチンゲールからデュナンへの流れ、そして赤十字の設立と発展を想起する必要がある。

 現に赤十字は、ナイチンゲールの思想と活動をもっとも重要な意義をもつものとして評価している。そこで赤十字はナイチンゲール記章を創設し、傷病者の救護の向上に献身し、人道博愛精神の昂揚に尽くしたナイチンゲールの功績を記念し、救護活動に顕著な功績のある人に授与している。各国赤十字社からの推薦により赤十字国際委員会が選考して受賞者を決定している。

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