2003年11月21日発行814号

アフガン民衆法廷12月最終公判へ 「ブッシュ有罪」へ第8次調査(2)

【赤十字施設に大型爆弾 軍事拠点破壊後の標的は民間施設】

 ブッシュのアフガン攻撃は、全く一方的な空からの”なぶり殺し”攻撃だった。攻撃開始から一週間足らずで、米軍は予定した攻撃目標をほとんど破壊した。しかし、その後も空爆は止まることなく続いた。その目標となったのは、民間住宅地域や民間施設だった。              (勝井)


 二〇〇一年十月七日の深夜の空爆で開始された米のアフガン攻撃は、圧倒的な軍事力を背景にした一方的な”なぶり殺し”攻撃だった。

 三夜連続の空爆を経た九日、ブッシュは「空は今や、米軍機がいかなる妨害を受けずに自由に飛行できる」と制空権を確保したことを誇らしげに宣言した。しかし、タリバン側には制空能力はなかった。航空機を持たず、対空砲も貧弱なものしかなかった。それを承知の上で、アラビア海に配備した空母や艦載機からの巡航ミサイルや精密誘導兵器を連夜にわたり米軍はアフガニスタンに打ち込んだのだ。

大型爆弾の直撃を受けた赤十字施設(10月18日・カブール)
写真:瓦礫の山となった建物。人が何人も入れるような大きな穴が地面にぽっかりとあいている

 一週間後の十四日に、米空母エンタープライズの幹部は、「与えられた攻撃目標は、ほとんど破壊した」と述べた。空から攻撃できる軍事目標そのものがなくなるほどの集中的な空爆を行ったのだ。

 では、その後に空爆はなくなったのか。米軍はやめることなく空爆を継続し、強化した。新たに投入した、AC130(ジェット戦闘機より低く、ヘリコプターよりも高く飛べる対地攻撃機)や、FA18ホーネット・B52爆撃機による空爆が続いた。

 では、軍事目標をほとんど破壊したあとで、いったい何を空爆の目標にしたのか。首都カブールで標的となったのは、民間住宅地域や民間施設だった。

今も残る被弾跡

 カブール市内の北部に、四、五百メートルも続く壁で囲まれた巨大な倉庫群がある。ICRC(赤十字国際委員会)の倉庫だ。

 周りに大きな建物は何もない。住宅密集地の中にあるのでもない。米軍が軍事目標としたカブール空港からも三キロ以上も離れた場所にある。入口に赤十字のマークが記され、赤十字の旗が掲げられている。

 この絶対に誤認しようのないICRCの倉庫を、米軍は十月十六日と二十六日、二度にわたって爆撃した。

 爆撃から二年を経た今も、被弾跡は残っていた。

 毛布と食用油を貯蔵していた倉庫だった。鉄骨の天井を突き破り、厚さ十五センチのコンクリートの床を貫いた被弾跡は、直径七メートル・深さ二メートルの大きな穴として残っていた。

 米軍は、B52からGPS(全地球測位システム)誘導弾を使用したことを認め、「以前はタリバンの倉庫で、赤十字の倉庫になっていることを知らなかった」と発表した。過去のデータで攻撃目標を設定し、現場でチェックしていないことを自ら認めたものだ。

逃げ惑うタリバン兵

 しかし、現在のICRC現場管理責任者は次のように語った。

 「タリバンが倉庫の一部を使っていたとも言われてますが、そういうことは決してありませんでした。ここが攻撃目標にされたのは、タリバン兵が逃げ込んでいたからではないでしょうか。空爆を恐れて逃げ惑うタリバン兵が夜間に敷地内に入っていたそうです。でも、倉庫の鍵はしっかりかけていたので、倉庫内には入れなかったはずです」

 次回で詳しく述べるが、タリバン軍は米軍と闘う意思も闘う能力もなかった。一方的な攻撃だけを繰り返され、ひたすら逃げ惑うしかないタリバン兵を掃討するために、赤十字マークのついた施設に大型爆弾を打ち込んだブッシュの戦争犯罪は決して許されない。(続く)

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