ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2003年12月12日発行817号

第31回『レヴィンソンと戦争の違法化(3)』

 第1次大戦中、国際法が戦争を禁止していないことに驚いたシカゴの弁護士レヴィンソンは、1918年の論文「戦争の法的地位」を手始めに、パンフレット「戦争違法化の計画」や論文「戦争違法化条約の提唱」「戦争制度を廃止する」を発表した。1922年末、「戦争違法化アメリカ委員会」を組織して、本格的に運動を始めた。

 上院議員ボラーは、戦争違法化を求める決議案を上院に上程した。さらに、レヴィンソンの論文「戦争の違法化」をアメリカ政府の出版物として出版することに成功した。レヴィンソン『戦争違法化』(ワシントン政府印刷局、1922年)である。

 ボラーやデューイの協力も得た戦争違法化運動は1920年代アメリカで大きな流れとなっていった。教会や女性の平和運動が戦争違法化運動に加わっていった。

 戦争違法化を推進したレヴィンソン自身、弁護士とはいえ、第1次大戦以前は国際法には関心がなく、第1次大戦に直面しての疑問を正すために国際法を紐解き、戦争が禁止されていないことに驚いて、戦争違法化運動を始めた。運動の担い手は教会や女性の平和運動であった。

 それでは、専門の国際法学者の反応はどうであっただろうか。

 ウオルター・リップマンは、論文「戦争の違法化」(『アトランティック・マンスリー』132号、1923年)において、疑問を投げかけた。第1に、ボラーが戦争違法化運動を支持していることへの政治的批判である。というのも、ボラーは、アメリカの国際連盟加盟に反対した「非妥協派」議員の一人であったし、常設国際司法裁判所にも反対していた。つまり、戦争防止のための制度の創設にボラーは反対してきたはずである。世界の大半の諸国が参加している国際連盟への参加を唱えずに、戦争違法化を唱えることは矛盾ではないのか。第2に、より本質的な批判として、リップマンは戦争違法化思想そのものに疑問を提起した。戦争違法化思想は、国家間紛争の解決にとって法による規制の可能性に過大な期待を寄せすぎている。逆に言えば、会議、妥協、交渉などの政治的手段の意義を過小評価する危険性があるという批判である。

 第1次大戦と第2次大戦の間の戦間期に登場した「新しい国際法学」のスターの一人であったクインシー・ライトも、論文「戦争の違法化」(『アメリカ国際法雑誌』19号、1925年)において、疑問を提起した。ライトは、レヴィンソンの思想が倫理的・道義的な拘束力に着眼したものであるとし、単に戦争違法化を唱えても、十分な組織的担保がなければ意味がないと論じた。戦争の規制のためには、もっと精緻な法概念が必要であり、責任、侵略、制裁などの国際法概念を明確にし、実効的な組織の裏づけを得て初めて戦争違法化が実現できるとした。

 このように、国際法の「素人」であったレヴィンソンが提唱した戦争違法化運動は、専門の国際法学者からは批判を受けることとなった。その意味をどのように考えるべきだろうか。

 第1に、戦争違法化思想と運動は、単純明快なスローガンに発して、戦争違法化を宣言する国際協定を求めるという単純明快な目標を設定していた。それまでも反戦平和の思想や論理には長い歴史があるが、「戦争違法化」という端的な目標が民衆の支持を得たことを確認するべきであろう。

 第2に、ボラーなどの協力によってレヴィンソンの論文が政府出版物となったことは大きな成果であったが、それも第1次大戦を経験した世論の反戦意識が背景にあってのことであろう。

 第3に、リップマンの批判は法的手段の偏重を戒めて政治的手段を強調するものであり、ライトの批判はより精緻な法論理と法制度を強調するものであり、方向はまったく異なる。国際法学者であるが故に、戦争違法化という単純明快な方策の限界を見抜き、より複雑な国際政治と国際法の現実を踏まえた論議の積み重ねを提唱したものである。

 しかし、「素人」レヴィンソンの夢は、国際政治の現実をたぐり寄せ、不戦条約が実現することになる。

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