2003年12月12日発行817号

「ブッシュ有罪」へ第8次調査(5)

【無実の罪で拘束、虐待 最終公判に証人として来日の予定】

 ブッシュがアフガニスタンで行った国際法違反の犯罪は、空爆による民間人被害だけではない。無実の罪で拘束され、「捕虜」としてキューバのグアンタナモ基地に連れ去られた多くの民間人がいる。第8次調査では、この「捕虜」と出会うことができた。(勝井)


 アフガン現地での調査を終え、陸路パキスタンに戻った調査団に、一つの情報が入った。キューバから帰国し、いま米政府を相手に提訴を考えている元捕虜がいる、というものだった。

キューバから持ち帰ったマスクをつける元「捕虜」
写真:大きな白いマスクをかけ座る男性。マスクの下から白いひげがのぞいている。

 帰国直前だったが、二度とない機会だと判断して、彼の住むコヒスタン地方へ向かった。

 イスラマバードから何度も往来した幹線道路をペシャワールに向かうと、途中に北への分岐点がある。カラコルム・ハイウェーの入口だ。道は、標高世界第二のK2を頂くカラコルム山脈を縦断して中国に至る。ハイウェーといっても日本の高速道路を想像してはいけない。インダス川沿いの崖っぷちに、二車線の道路が延々と続くだけ。ときおり山羊や羊も通る。

 こんな山奥にキューバから帰った捕虜がほんとうにいるのか、と半信半疑になりながら車を揺られること約8時間。ようやくたどり着いた小さな村に、その人はいた。

パキスタン人の宗教者

 1951生まれのパキスタン人だった。

 「私はこの村の生まれで、材木商をしていました。ある新興宗教団体の一員でもありました。イスラム教の教えを説くことで、自らをより高め、アラー(神)に近づけることを信じて、伝道グループのメンバーとして4か月の予定でアフガニスタンに入りました。米の空爆よりも前のことで、9・11事件も知りませんでした。そのアフガン北部のクンドゥズで拘束されました」

 彼は、アルカイダでもタリバンのメンバーでもなかった。熱心な宗教者だった。

 その後、数時間にわたって聞き取りを行ったが、彼は祈りの時間になると、必ずインタビューを中断させた。

 無実で釈放されるまで、捕虜となったタリバン兵とともに行動した彼の証言からは、捕虜虐殺・虐待の事実が浮かび上がる。

 2001年11月、北部同盟のドスタム一派に逮捕され、トラックに乗せられマザリシャリフへ。その後は、コンテナに詰められてシェベルガンに運ばれた。

 「250人くらいいたが、途中で50人ほどが亡くなった。コンテナは、天井に小さな穴が一か所開いているだけで、暑くて息苦しく、喉も渇いて仕方なかった。あと30分も乗っていれば全員が死んでいたでしょう」

 その後は米兵に引き渡され、米軍機でカンダハルへ移送。無理やり髪の毛から髭(ひげ)、まゆ毛まで剃られた上に、手足を縛られた状態で23時間かけてキューバのグアンタナモ基地にまで連行された。

 グアンタナモでも虐待はつづく。鶏小屋のような鉄格子のオリに入れられた。仲間と会話することもお祈りをすることも許されなかった。

 「ビンラディンはどこにいる」「アルカイダは誰か」など20回ほど法廷で尋問されたが、「知らない」と無実を主張し、昨年11月に釈放された。

米政府の提訴も

 米軍が支給したコーラン、歯ブラシ、歯みがき、白い服、マスク、IDタグ。グアンタナモから持ち帰った品を並べて、彼はこう訴えた。

 「今もグアンタナモには、無実の人々が拘束されたまま。すぐに釈放すべきだ。私の商売も3年間ストップした。故障した機械も直せない。米政府に対して訴訟を起こそうと考えている」

 彼は12月13、14日のICTA最終公判に証人として来日する予定だ。日本ではほとんど知られていない捕虜虐待の事実が、生々しい証言で暴かれる日がやってくる。(続く)

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