アフガニスタンで米軍はいまだに戦争犯罪を行っている。空からの爆撃は罪のない子どもたちを殺傷し続けている。こうした米軍の犯罪を国際法で裁くために開始された「アフガニスタン国際戦犯民衆法廷(ICTA)」は、12月14日に最終公判を開き、結審する。(勝井)
久しぶりに大手マスコミが米軍犯罪の記事を大きく掲載した。
戦争で両親を亡くしたアフガンの孤児たち
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12月6日、首都カブール南西のガズニ州で、米軍機が機銃掃射をしてボール遊びをしていた子ども9人を撃ち殺した事件だ。
タリバン幹部が潜伏しているとの情報を基に、A10戦闘機が村を空爆したもので、米報道官は「空爆時、近くに子どもたちがいたことは知らなかった」とおきまりのコメントを発表している。
2年前に開始された攻撃と全く変わらない戦争犯罪が今なお繰り返されているのだ。
地上からの情報をろくに検証することなく、ひたすら空から銃弾を撃ち込む。その目標がたとえ民間住宅地であっても、子どもであってもおかまいなし。これが米軍のアフガン攻撃の大きな特徴だ。
劣化ウランの影響も
その結果、生み出されるのが民間人、とくに子どもたちの犠牲だ。
調査団が出会った戦争被害者の中でも、子どもを亡くした事例が多い。
カブール市内北部のカライ・ホテル地区に住むサヒーブ・ダードさんの家は、調査のたびに訪れている。
2002年9月に初めてアフガン入りして、最初に会った米軍空爆の被害者が、サヒーブさんだった。殺された2人の墓に立つサヒーブさんの全身から力が抜け落ちたような虚脱感でいっぱいの表情が、強烈な印象として残っている。
第8次調査でも、サヒーブさんの自宅を訪問した。サヒーブさんは留守だったが、妻のラヘラさんが応対してくれた。
3日前に母親を亡くしたばかりだというのに、ラヘラさんは沈着冷静に被害状況を語ってくれた。
ラヘラさんと2人の子ども
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空爆で殺された9歳のフレシュタちゃんの写真を初めて見せてくれた。「どんな子でしたか」の質問に、「娘はとてもかしこくて、やさしい子でした」。「アリサジャッドくんの写真は」と聞くと、「息子はまだ1歳だったので、写真を撮っていなかった。息子もとてもおとなしく、かしこい……」。気丈なラヘラさんの目に涙がうかんだ。その後、「私たちはタリバンでもなんでもない。それなのに、2人の子どもが殺され、家もつぶされ、私も傷ついたのです」と、空爆への怒りを一気に語った。
現在、ラヘラさんは夫と3人の子どもと暮らしている。帰国後、この子どもについて衝撃的な情報が入ってきた。
11月下旬、劣化ウランの科学的調査に取り組むアサフ・ドラコビッチ博士が来日し、アフガンでの調査を報告した。その中で、カブールで採取した尿サンプルから高濃度のウランが検出された者の一人に、ラヘラさんの11歳の息子フセインくんが入っているのだ。
クラスター爆弾の禁止を
劣化ウランとともに深刻な影響を及ぼすのが、クラスター爆弾だ。
まだ左足に傷あとが残るイサヌラーくん
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第8次調査では、クラスター爆弾で大けがをしたイサヌラーくんと一年ぶりに再会した。
通学途中に子爆弾が爆発して全身を大けが、とくに左足が重傷で一年前は寝たきりだったが、歩けるまでに回復していた。でも、まだ走ることはできず、左のわきには子爆弾の破片が埋まったままだ。
アフガン北部のクンドゥズに住むアブドル・ラシードくん。クラスター爆弾で両目を失明した。「助けて。もう一度目が見えるように」とすがるラシードくんの願いに応えようと、彼のカルテを日本に持ち帰って、眼科医に相談した。結果は、手術をしても視力は回復しないとの絶望的なものだった。医者は、「一年以上も放置したままで、すでに細胞が死んでいる。せめて、被害直後に手術をすればなんとかなったかもしれない。それが残念だ」のコメントを残した。
アフガンの隣国パキスタンのペシャワールでは、戦争で両親を亡くした孤児たちと会った。RAWA(アフガニスタン女性革命協会)が運営する孤児院で共同生活をしている。歌や踊りで楽しく調査団を歓迎してくれたが、ときおり見せる暗い表情に、胸の奥深くまで刻み込まれた心の傷をうかがうことができた。
寝たきりのグル・ビービーさんと母親のサリマさん
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そして、ペシャワール郊外のレンガ工場の片隅には、15歳の少女グル・ビービーさんがいる。空爆前までは活発に行動していた彼女は、頭部の打撲で障害を持ち、寝たきり生活となってしまった。
母親のサリマさんは、こう語る。
「現在の生活はとても厳しく、食べるのがやっとで、娘の治療は何もできません。治療のためにはCTスキャンをしなければなりませんが、4千ルピー(約8千円)が必要です。そんなお金はどこから出てくるのですか」
平和なアフガンへ
ブッシュがアフガンで行った戦争犯罪の傷跡は深い。被害者にとっては、永遠に消えるものではない。
8回に及ぶ現地調査と国内外16か所で開いた公聴会の証言を束ねたICTAは、12月14日の最終公判で結審する。
その結果だけで、アフガンの現状を変えることは不可能だろう。それ以降も、たゆまぬ取り組みといっそうの国際的な運動が不可欠だ。
しかし、必ずアフガンの子どもたちが希望をもてる平和な時代がくる。その出発点がICTAだったと言われる日がくると信じたい。(終)